2009年11月3日火曜日

トロリーバスの思い出



JJが子供のころは東京都内をトロリーバスという乗り物が走っていました。近所を走っていたのは103系統「池袋駅前-亀戸駅前」で、亀戸から明治通りを通ってJJの住んでいた下町地域を走り抜けて行きました。

近所には、もう一路線101系統「今井-上野公園前」という路線もあり、谷中に墓参りに行くときに良く乗りました。こちらは言問通りを走って行き、根津の交差点から不忍通りを左折し、今の千代田線湯島駅のあたりが終点で、折り返すためのループ線があったと思います。不忍通りは当時都電も走っていたので、今思えば架線はかなり錯綜していたんではないでしょうか?また、都電は途中から動物園方面の専用軌道に分かれて行くので、このあたりの架線の交差部分がどのように処理されていたのかは気になるところです。

調べると、都営トロリーバス全盛期には全部で4系統存在し、101系統、103系統のほかにも、102系統「池袋駅前-品川駅前」や104系統「池袋駅前-浅草雷門」がありました。104系統と103系統はかなり路線が重なっており、三ノ輪のあたりで明治通りを分かれて浅草方面に入って行ったようです。102系統は池袋から渋谷まで明治通りを通っていたようなので、101系統を別にすれば、トロリーバスは基本は明治通りを根城にしていた様ですね。

トロリーバスは非常にゆっくり走っていた記憶があります。子供心に、その遅さにいらいらしたものです。心の中では「ノロリーバス」と揶揄していました。でも、今考えると排気ガスやエンジンの騒音を出さずに街中を走る乗り物は環境には良さそうですね。

トロリーバスは電気で動くので、道路には架線が張り巡らされ、車体の上部に取り付けられた二本の集電ポールが架線から電気を取り込んでいました。普通の電車と違って、レールから電流を逃がすわけには行きませんので、ポールは二本(直流600V方式なので、プラスとマイナスですね)あります。ポールの先端にはプーリーのような部品が付いていて、それが架線と接触していました。Wikipediaの記事によると、このプーリーのことをトロリーといったようです。また、ポールを下ろすために先端にロープのようなものが付いており、その逆端が車体後部のリールのような部品につながっていたと思います。東京都交通局では、トロリーバスは電車のくくりで、「無軌条電車」と呼ばれていたようですね。

先ほど出てきた103系統ですが、亀戸から帰ってくると、京成電鉄の踏み切りの手前で(電話局の前あたりで、バス停があったかもしれません)いったん止まると、車掌さんが車外に出て集電ポールを下ろすと再び車内に乗り込み、今度は運転手さんがおもむろにエンジンをかけて踏み切りを越えるともう一度止まってポールを上げて...といったことをやっていました。トロリーバスの架線と京成電車の架線が電圧の違いもあって交差できないので、やむなく補助エンジンで踏み切りを超えていたのでした。もともとのろいトロリーバスがさらにのろくなる理由がここにありました。

このために103系統を走っていた車体(300型とか350型)には補助エンジンがあり、フロント側に小さいラジエータグリルもついていて、他の路線のものとちょっと顔が違います。

また、踏切を渡る時だけでなく、何かの拍子にポールが架線から外れることもあり、そのたびに車掌さんが車外に降りて直していました。

写真は以前「タイムスリップグリコ」のおまけについていた模型です。他の模型と組み合わせて撮影してみました。多少雰囲気は出てるかなと思います。

東京都内のトロリーバスは、残念ながら昭和43年に全部の路線が廃止されてしまいました。後から出てきた高性能のディーゼルバスに比較して効率が悪かったことが廃止の理由とされているようです。最初に敷設された101系統が昭和27年ですから、たかだか16年の短い命でした。

同じころ、都電も各地で廃止されていきましたが、都電のほうがもう少し後まで残った路線があったようです。それでも昭和47年には専用軌道部分の多かった荒川線を残してあとはすべて廃止になってしまいました。そのうち都電の思い出も書きましょう。


この写真は昭和27年開業当時のトロリーバスです。後に塗装は変更になりましたが、最初は薄いピンクと青のツートンカラーだったようです。撮影時期から考証して車体は50形、路線は101系統のはずです。50形は、もともと中国の天津市に輸出するために製造されたのですが、朝鮮戦争(中国義勇軍の参戦など)の影響で輸出ができなくなり、東京都が買い上げたという経緯があったようです。(写真出展:毎日新聞社「一億人の昭和史 6」より。なお、この写真は既に公表済である。)

日本では見かけなくなってしまったトロリーバスですが、中国など海外ではまだまだ現役です。二年ほど前に北京に行った時にも乗ってみました。車体に二本のツノが生えていて、ちょっと愛嬌のある乗り物ですよね。

2 件のコメント:

  1. トロリーバス、残念ながら昭和45年生まれの私には『懐かしさ』を感じない『珍しい乗り物』です。小学校2年のときに立山黒部アルペンルートに行き、トンネル内を排ガス抑制のためにトロリーバスが走っており初めて乗車しました。そのとき名古屋在住の両親がしきりに『懐かしい』と連呼していたことを思い出します。

    今思うと、そのゆっくりした運転はスローライフそのものですね。ネットや携帯電話は便利になりましたが、スローライフに代表される『ゆったり過ごす』ことからどんどん離反していってしまっていると思います。

    JJさんのトロリーバスの思い出、貴重で大切だと思います。でも東京では16年の短命だったのですね。長い歴史の中ではとても貴重な逸品といえますね。

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  2. Harrisonさん、コメントありがとうございます。

    そうですね、日本でもたった二箇所、立山黒部アルペンルートでトロリーバスが活躍しています。JJは乗ったこと無いですが...

    米国や欧州では最近都市近郊の輸送機関としてLRT(路面電車に毛の生えたもの)を建設する例が増えてきています。また、LRTのさらに簡易版として、トロリーバスへの需要も出てきているようです。

    日本でもこういうゆっくりした乗り物が復活して欲しいものですね。

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