2010年3月28日日曜日

港町の風景(船舶の修理工場)

最近忙しくてブログの更新ができていません。読者の皆様ごめんなさい。

JJは横浜市民になってから、もう20年以上になります。最初の頃に住んでいたのは横浜市(なんと440平方キロもあります)でもはずれのほうで、港町らしさはまったくなかったのですが、海辺に近い今のところに引っ越してからは6年とちょっとになります。現在の住まいは家からも海が見えて、また、少し歩くと水辺があって、とても変化に富んでいて好きな地域です。家のある場所は再開発地域なので、超近代的な街なのですが、少し歩くと、何とはなしに漁村だった頃のような面影や、港町らしい風情を感じます。

今日は、そんな中で、船舶の修理工場をご紹介しましょう。

普通の町中で、自動車の修理工場はカーディーラーを含めて良く見かけますが、船の修理工場はなかなか見かけることはありません。やはり水路が通じていないと修理する船も運びようがありませんので、船舶修理工場は当然水辺に位置することになります。

JJの家からすぐのところに一軒船舶修理工場があります。上から見るとこんな感じに見えます。

ちょっと見難いかもしれませんが、写真中央のガレージのように見えるところが船舶修理工場です。地図で言うとこの辺になります。


大きな地図で見る

この辺は地図を見ても判るとおり、かなり水路が入り組んでいます。運河として掘ったというよりは、元々海だった場所を埋め立てるときに水路として埋め残した感じですね。修理工場の前の水路は以前の記事で紹介した神奈川台場に向かう二本の築堤の北東側にあたります。

現在横浜港に入港する貨物船のほとんどはコンテナ船に替わり、本牧埠頭や大黒埠頭を中心としたコンテナ埠頭でガントリークレーンによる荷役が行われています。コンテナ船が主流になる以前は汎用貨物線による港湾荷役が主流で、貨物船は埠頭ではなく沖合いに停泊し、そこで、艀(ハシケ)に荷物を積み替えて、岸壁の倉庫まで運んだものでした。荷役は沖仲士と呼ばれる港湾労働者によって、人海戦術で行われていたものです。当時は艀に積替えられた貨物が、こういった細かい水路を航行して、岸壁の倉庫や貨物駅で荷揚げされたものだっとと思われます。この船舶修理工場の面している水路は、東高島貨物駅にも面しており、昔の写真を見ると、艀から荷揚げされた貨物が、国鉄の貨車に積替えられていたりしていました。

水路の今はこんな平和な風景です。このへんは不法係留船舶が結構多いですね。

港湾荷役最盛期は全国から沖仲士としての職を求める日雇い労働者が集合し、大変な賑わいだったようです。そういうった労働者のことを風太郎(いまでいうプータロー)と呼んだだそうです。横浜にも有名な簡易宿泊所街が中区寿町周辺にあり、東京の山谷や大阪のあいりん地区と並んで有名です。

それで、話題の船舶修理工場の近影はこんな感じです。
ちょっと牧歌的な感じはありますね。
不法係留船なのか修理待ちなのか、ちょっと判りませんが、修理工場の前の水路には船がたくさん停泊しています。

以前日本テレビで「たったひとつの恋」という連続ドラマを放映していました。2006年10月14日から2006年12月16日まで、毎週土曜日21:00~21:54に放映されていて、主演は亀梨和也と綾瀬はるかだったのですが、亀梨演じる主人公は貧乏な船舶修理工場の息子という設定で、この修理工場でロケされました。ちなみに綾瀬はるかの方は金持ち(想定ではスタージュエリーの社長令嬢)という設定でした。実際の修理工場自体はひっきりなしに船舶修理に従事しているので、傍から見ると繁盛しているように見えます。日本テレビの「たったひとつの恋」公式サイトはこちら。

港湾荷役の近代化と埠頭の移転であまり港町らしくなくなってきた横浜ですが、よく見ると船にまつわるこんな工場が身近にあったり、町中に船具を扱う会社があったりと、普通の町とは一風変わった情緒を持っています。

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