2016年4月30日土曜日

荷車を曳く犬たち

私の住むマンションでは、細則を守ればペットを飼うことが可能です。犬猫ならば体長50cm(胸骨から坐骨端まで)以下で体重10Kgまでのものを二匹まで飼育可能です。届け出が必要で、うちの猫(ミーちゃん)も当然届け出をしています。猫は出歩かないしそれほど鳴き声も上げないので、どの家で飼っているのかわかりませんが、犬の方は吠えたりするし、 散歩に連れ出したりもするので、共有部分などで見かけることが良くあります。

私も子供の頃に犬を飼ったことがあるし、懐いた時のかわいさはよくわかっていますが、成人してからはすっかり猫しか飼わなくなってしまい、犬を散歩している人たちを、どちらかというと冷ややかな目で見ています。と、いうのも、建物周囲におしっこをかけるし(糞の方は飼い主が持ち帰りますが、おしっこの方はペットボトルで水をかけて薄める人も見かけるものの、やはり匂いやしみが残ります。)、飼い主同士の犬自慢会話が耳に入ってくると、なんだかばかばかしい感じがします。犬の方もかなり手入れがされた、華奢でお利口な小型犬で、昔自分で飼っていたころとは別世界のような感じです。

ところで、ネットで昔の写真を探していたら、こんなものを見つけました。
図1:大八車を曳く犬
江波信國という横浜に住んでいた写真家が撮影したもののだそうで、明治時代の風俗が分かる写真を多く残しています。ここのサイトに「明治時代の日本の仕事風景」として興味深い写真が60枚乗っているうちの1枚です。犬が二頭で大八車を曳いていますね。写真はモノクロに彩色したものでしょう。大八車には伐採してきたような丸太が何本も積まれており、それを何と犬が曳いています。

図2:空の大八車
大八車は上の写真のような構造をしており、通常は左上の井型の中に人間が入って引くものです。図1では人間が曳くために入る井型の部分までみっしりと丸太が覆っており、これは真剣に犬に曳かせる設定としか見えません。決して木こりの運搬作業にお供するお散歩犬ではなさそうです。

明治以前には一般的に牛馬が使役用として使われていたので、図3のような姿はまあ分かりますが、犬が荷車を曳いているのはなんだか珍しいですね。ここのサイトには使役される牛馬の写真(図1、3を含む)がいくつか上げられています
図3:大八車を曳く牛
 日本でいつごろから使役犬を使うようになったのか、ちょっと調べてみたら、ここのサイトにいろいろと記事が載っていました。まず、もともとヨーロッパではベルギーをはじめとして使役犬を使う文化があり、それが明治以降日本に伝わったというルート。
図4:ベルギーのミルク運搬犬
ベルギーのミルク運搬犬と言えば、かの有名なフランダースの犬がありますが、この話はあまりに悲しいので、私は好きではありません。

 もう一つは、幕末以降盛んになった蝦夷地開拓により、樺太アイヌなどの北方民族が使っていた犬ぞりの文化も日本に入ってきたようです。
図5:大泊(樺太)の荷役犬
 ここのサイトに犬ぞりについていろいろと記事が載っています。また、精悍な犬ぞり用の犬も各種写真がありますね。私は下の写真の犬種が気に入りました。
図6:そり犬サモエド
 サモエドって言うのですか、もこもこですね。ちょっともふもふしてみたいです。

で、その後、日本でも各地で犬が荷役用や軍用などに使われるようになって行ったようです。まあ、どこまで真剣に荷役に使ったのかは分かりません。図7の例などは半分は話題作り(=宣伝)のためのような感じも受けますが、図8などはかなりガチな印象を受けます。図8は貨物駅のように見えますね。貨物駅で貨車から荷下ろしをして、反対側につけた犬車に載せ替えて目的地まで運んだのでしょうかね?
図7:ビア樽を運ぶシェパード
図8:中部日本の輓曳(ばんえい)犬(昭和9年)
使役犬のもう一つの流れは軍用犬ですね。どの程度役に立ったのかわかりませんが、戦場にも犬たちが出征していきました。
図9:兵士と軍用犬
図10:防毒面を装着した軍用犬(毒マスクをかけて脚側停座)
図10はドイツの写真のようです。第一次世界大戦では毒ガス戦が行われましたので、軍用犬にもこういった装備が適用されたのでしょう。ご苦労なことです。毒ガスに限らず戦場で命を落とした軍用犬たちも少なくなかったものと思われます。

そういえば、昨年海外出張したときの機内で、アフガニスタンの戦場でハンドラーを亡くしてPTSDになってしまった軍用犬と心の病を抱えた少年(ハンドラーの弟)との交流を描く映画「MAX」を少し見ていました(実は眠くて途中で眠ってしまったのですが)。犬と言えどもPTSDになるんだなぁ。犬の演技も素晴らしかった。
働く犬たちの事をいろいろと書きましたが、今日も当マンションの「お犬様」たちは従者を従えて優雅にお散歩をなさっていることと思われます。

2016年4月16日土曜日

天災は忘れたころにやってくる

2016年(平成28年)4月14日21時26分(JST)頃に、熊本県熊本地方を震源とする、マグニチュード6.5(暫定値)・最大震度7地震が発生。気象庁はこの地震を「平成28年(2016年)熊本地震」と命名し、4月15日に発表しました。突然の大地震、しかも最大震度7ということで、震撼しているうちに、立て続けに大きな余震そして、4月16日午前1時25分には本震とみなされるマグニチュード7.3の地震が発生しています。JJの住んでいる横浜でも本震については揺れを感じました。

 ニュース映像で被害の状況を目にするにつけ、胸が痛みます。また今現在すでに30名以上の尊い人命が喪われた事に深く哀悼の意を表します。

2011年3月11日の東日本大震災から5年が経過し、地震の記憶も薄れかけていましたが、今回の熊本地震を見て、やはり地震はいつ起こるかわからないものだなと、改めて感じました。

日本にいかに地震が多いかというとこのサイトにまとめられていますが、世界中で発生するマグニチュード6以上の地震の20%はなんと日本に集中しているそうです。日本はユーラシア大陸の端なので、色々なプレート(ユーラシア、北米、太平洋、フィリピン海)がぶつかり合って、地震が発生しやすいようです。またプレート境界以外にも活断層(これもプレートのぶつかりあいが原因で発生するのでしょうが)が至る所にあり、活断層でも地震が発生します。今回の熊本地震はプレートではなく活断層が原因とされています。

日本は美しい島国で気候も良いのですが、自然災害は非常に多いですね。地震に限らず風水害も毎年この国を襲います。しかし、自然災害も戦災も乗り越えてきた日本人には、我慢強く乗り越えるだけの強さが備わっています。この国に暮らす以上は宿命ですので、災害には日ごろから備えておかなければいけませんね。

そんなことを思い起こさせてくれた地震でした。

タイトルの「天災は忘れた頃にやってくる」という文言は、明治から昭和初期にかけて活躍した物理学者の寺田寅彦の言葉と言われています。単純にして深い言葉ですね。しかも五七五の形式を取っていますので、警句としても語呂が良く覚えやすいです(俳句や川柳とは呼べないかもしれませんが)。寺田は随筆を良くし、夏目漱石とも親交があったので、俳句の素養もあったのでしょう。「天文と俳句」という一文も著しています。ちなみに青空文庫に上がっていますので、リンク先で読むことができます。

下表は2016年熊本地震で発生した規模の比較的大きい地震のリストです。これ以上増えないことを祈ります。


発生日時 震央 震源の
深さ
地震の
規模
最大震度
前震 4月14日(木)21時26分頃 熊本地方(北緯32.7度、東経130.8度) 10km M6.5 7 益城町
4月14日(木)22時7分頃 熊本地方(北緯32.8度、東経130.8度) 10km M5.7 6弱 益城町
4月14日(木)22時38分頃 熊本地方(北緯32.7度、東経130.7度) 10km M5.0 5弱 宇城市
4月15日(金)0時3分頃 熊本地方(北緯32.7度、東経130.8度) 10km M6.4 6強 宇城市
4月15日(金)1時53分頃 熊本地方(北緯32.7度、東経130.8度) 10km M4.8 5弱 山都町
本震 4月16日(土)1時25分頃 熊本地方(北緯32.8度、東経130.8度) 10km M7.3 6強 南阿蘇村 菊池市 大津町 宇城市
合志市 熊本市中央区・東区・西区

余震 4月16日(土)1時44分頃 熊本地方(北緯32.8度、東経130.8度) 10km M5.3 5弱 玉名市 大津町 熊本市西区・北区
4月16日(土)1時46分頃 熊本地方(北緯32.9度、東経130.9度) 20km M6.0 6弱 菊陽町 合志市 熊本市東区
4月16日(土)3時3分頃 阿蘇地方(北緯33.0度、東経131.1度) 20km M5.8 5強 阿蘇市 南阿蘇村
4月16日(土)3時55分頃 阿蘇地方(北緯33.0度、東経131.2度) 10km M5.8 6強 産山村
4月16日(土)7時23分頃 熊本地方(北緯32.8度、東経130.8度) 10km M4.8 5弱 熊本市東区
4月16日(土)9時48分頃 熊本地方(北緯32.9度、東経130.8度) 10km M5.4 6弱 菊池市
4月16日(土)16時2分頃 熊本地方(北緯32.8度、東経130.8度) ごく浅い M5.3 5弱 嘉島町 宇城市 熊本市西区