2009年9月30日水曜日

本城直季さんの動画(東京電力のCM)

JJはこのブログを始める時に、なるべく色んな話題を拾おうと考えてたので、本城直季さんの話題を連続で登場させるのは心苦しいのですが、最近「本城直季ワールド」に心が奪われてまして、もう一回話題にさせていただきます。

前回の分を読んだ方(かつ関東地方在住の方)はお気づきかもしれませんが、東京電力が4月から流しているCMの動画は本城直季さんが撮影したものです。

このCM映像は東京電力のWEBサイトに上がっておりますので、是非ご覧になってみてください。エコキュート編とヒートポンプ編と2本がアップされています。

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見ました?私はヒートポンプ編のほうが好きですね。上空から撮影した都心の風景が、まるでキッチュな模型の町のようで、とても面白いです。何回見ても見飽きませんでした。ただ、本城直季さんの映像がすぐに終わっちゃうのが物足りないですね。もっともっと長い間見ていたいですね。

ということで、次回は違う話題を書かせていただきます。

2009年9月27日日曜日

本城直季さんの写真集「スモールプラネット」と本城直季風写真

JJは写真が好きです。中学校の時には写真部に入っていました。撮影するのも好きだったんですが、どちらかというと暗室で現像・引き伸ばしする作業自体にわくわくしたものです。いまでも写真を撮るのは好きですが、写真マニアとかカメラマニアというわけではなくて、出張に行った時などに、気になった風景を携帯(JJは今はiPhone使ってます)で撮影する程度です。このブログに掲載している写真はすべてJJが自分で撮影したものですよ。

それで、何ヶ月か前になりますが、品川の取引先に伺った帰りに、いつもは行かない書店に寄りました。そこで見かけたのが、本城直季さんの写真集「スモールプラネット」です。写真は風景写真(多くは都市の風景)なのですが、どう見てもミニチュアを撮影したものに見えます。しかし、良く見ると、どの写真も現実の風景をあたかもミニチュアに見えるよう巧妙に撮影したものであることがわかりました。

この写真集のことはその後頭から離れなくなり、先日同じ書店に行ってついに購入してしまいました。2,500円(消費税別)でした。買ってからしげしげと飽くことなく写真を楽しみました。もともと人工的である都市景観を模型のように表現することで人工である点をデフォルメして、一層人の心に訴えたかったのかもしれませんが、そういった小難しい理屈は一切抜きにして、見ていて面白いのです。

ここにに何枚か作品が掲載されていますので、ご覧になってください。

写真の世界も色んな表現が今まで考え出されてきましたが、「あっ!こんな手があったか」といった感じですね。別のサイトに本城氏の撮影技法に関して記載がありまして、「大判の銀塩カメラでアオリを使って撮影した後、デジタル処理をしている。」そうです。アオリというのは、ベローズ(蛇腹)みたいのを使ってカメラの光軸に対してフィルムを傾けて撮影する技法だそうで、高層ビル撮影時の遠近法の補正などに通常は使うようですが、ここでは、写真の中心部のみに焦点が合い、遠景なのにあたかも被写界深度の極端に浅い接写のような効果を与えています。

「JJもこんなのを撮ってみないなぁ~」と考えましたが、いいカメラも持ってないので、あきらめていましたが。ところが、この記事を書いているときに、ネットで検索したら、「本城直季」風ミニチュア写真作成ソフトというのが掲載されていましたので、それを使って、ちょっと使っていたずらをしてみました。

写真1:は北京の天安門です。二年位前に訪問したときの写真を加工してみました。模型っぽく見えますでしょうか?

<写真1:模型風天安門>

写真2:は7月に香港に行ったときにホテルの前で撮影したものです。こっちのほうがより模型っぽく見えますが、いかがでしょうか?

<写真2:模型風街頭(香港島銅鑼湾地区)>

撮影場所は香港島の銅鑼湾にある富豪香港酒店というホテルの前ですが、二階建て路面電車が折り返すためのループ線が設置されており、いかにも鉄道模型っぽい感じの作りだっだので写真を撮りました。本城氏も同じ場所で撮影されており、アングルは異なりますが、前述の写真集に収録されています。オリジナル写真はここで見ることができます。鉄道関係だと模型っぽいからミニチュア風写真には相性が良いようです。

ついでにもう1枚。これも写真2と同じ場所ですが、アングルが異なります。ごちゃごちゃした香港の町が何かの魔法をかけられてキッチュなおもちゃの世界になってしまったようですね。オリジナルの写真で上のほうにある建物がホテルで、JJは歩道橋の上からアングルを変えて二枚取りました。写真を撮ったのは写真集を見る前で、たまたま偶然です。

<写真3:模型風街頭(香港島銅鑼湾地区)>

まあ、まねっこはいくらでもできるのですが、最初にこういう写真の撮り方を考えた本城氏にはまったく感服いたします。

ちなみに、「本城直季」風写真作成ソフトはここからダウンロードしました。
みなさんも遊んで見られたらいかがでしょうか?

2009年9月26日土曜日

ベランダのビオトープ近況とホテイアオイの話

JJの家のベランダには植物たちがいっぱい暮らしています。普通のプランターがほとんどですが、夏場の楽しみのためにビオトープが2鉢だけあります。ビオトープ大(写真1)のほうは、昔取引先からもらった胡蝶蘭の鉢底穴に蓋をして使っています。こちらは底に赤玉土を入れて、上にホテイアオイを浮かべてみました。

<写真1:ビオトープ大>
ホテイアオイだけでは寂しいので、中にクロメダカ20匹とドジョウを5匹放しました。クロメダカは元気で、毎朝出勤前にえさをやりにベランダに出ると、えさ欲しさに水面に集まってきます。ドジョウはすぐに何尾か死んじゃったんですが、まだ残っていると思います。思いますというのは、ドジョウの方は底土に潜ったきり出てこないからです(土壌に潜るからドジョウなのかも?)。水面に浮いている浮き草はホテイアオイを買ったときにについてきた1片がどんどん増えたものです。
夏の盛りになるとホテイアオイも浮き草もどんどん増えます。浮き草が増えすぎるとメダカの給餌に支障をきたしますので、時々除去してやります。ホテイアオイもどんどん増えていきます。ホテイアオイは親株から匍匐茎のようなものを延ばして、その先に子株ができます。油断すると、鉢を覆ってしまいます。あんまり増えたので、匍匐茎の途中で子株を切り取って、ビオトープ小(写真2)の方に分家してやりました。
<写真2:ビオトープ小>

こちらの鉢の方は最初から水鉢兼用として作られたもので、付属品の蓋をつけてやって、底には荒木田土を入れました。こっちのほうには魚はいません。

ホテイアオイは真夏になると、可憐な花を咲かせます。どういうわけか本家のほうのビオトープ大の方は開花しませんでしたが、分家筋のビオトープ小の方は今年二回咲きました。株元から花茎が伸びてきて、穂状に薄紫の花を咲かせます。(残念ながら花の写真はありません。記事の最後にあるWikipediaのリンク先で見てください。)ホテイアオイは英語では「Water Hyacinth」というくらいなので、やっぱりヒヤシンスの花に似ています。

ホテイアオイは熱帯性の植物なので、横浜あたりでは冬越しできません。寒くなると枯れてしまいます。そろそろ秋なので株を整理して、それぞれのビオトープで一株だけにしました。全部枯れちゃったら、また来年の春にホームセンターで1株買いましょう。4月ころになると出回ります。株価は198円くらいです。1株だけ買えば夏場にどんどん増えます。

ホテイアオイは根を良く延ばして、水質浄化する能力があります。しかし、熱帯性の気候だと、どんどんどんどん際限なく増えていってしまい、始末におえなくなります。そのため、国際自然保護連合(IUCN)種の保全委員会が作成した世界の侵略的外来種ワースト100(100 of the World's Worst Invasive Alien Species)に選ばれているそうです。

写真3は2003年の6月にマニラで撮影したものです。マニラの旧市街(イントラムロス)の北端にスペイン植民地時代に建造されたサンチャゴ要塞があり、その北側に川(Pasig River)が流れています。
<写真3:マニラ市内を流れるPasig Riverのホテイアオイ>

要塞のほうから川面を眺めていると、上流から草のようなものが次から次へと流れてきて、澱みに溜まって行きます。なんだろうと思うと、これがなんとホテイアオイでした。上流からドンブラコッコとホテイアオイが漂着しては写真の場所に溜まって行くのです。ちなみに、写真右手が上流側で左奥が下流側です。

この位置はほとんど河口に近く、あと数百メートルでマニラ湾に注いでしまいますので、最後は海に流れて枯れてしまうのでしょう。それにしてもすごい勢いでした。
と、いうことで、今日は生命力がとっても強いけど可憐な花を咲かせるホテイアオイのお話でした。

ご参考:ホテイアオイの詳しいことはWikipediaのページをご覧ください。

2009年9月23日水曜日

使われなくなった言葉たち

最近は昔に比べるとなんでも便利になりましたね。JJが高校生くらいのときは、携帯電話もなければ、コンビにもなかったし、パソコンもインターネットもなかったですね。でも、JJにとって何が一番便利になったかというと、やっぱりインターネットですね。

JJ子供のころは、質問魔だったようで、親や兄弟に「どうしてXXXXなの~?」てしつこくしつこく聞いていて、周りは辟易していたようです。そいういう訳かどうかは判りませんが、小学校の低学年のころ親が百科事典を買ってくれました。確か、学研の「原色学習図解百科」という子供向けの百科事典でした。挿絵や写真も豊富に入っていましたね。子供のころはこの本が大好きで、隅から隅まで読みました。 特に第一巻の最初の部分に挿入されていたアポロ計画の特集記事は夢中になって何度も見たものです。

何でそうなっているのか、という疑問を持って、それが解決(納得)するのはとても嬉しいですね。知的興奮を覚えます。でも、そんな知識が現実の問題解決に役立つかというと、また違う次元の話だったように思います。

今は、インターネットで検索すれば大抵の答えが書いてあります。これってすごいことですね。昔は疑問を持ったら、図書館に行って書いてありそうな本を探して、調べなきゃいけなかったけど(また書いてある本を探すのも骨だったけど)、今は自宅の机の前に座って、キーボードを叩けば、何らかの、もっともらしい回答が得られてしまいます。

代表的な検索エンジンのGoogleは動詞化していて、日本語でも「ぐぐる」という言葉ができていますね。以前JJが見たアメリカの映画で、子供が母親にしつこく「どうしてXXXXなの~?」って質問するシーンがありましたが、それに対して、母親は「Google it!」と答えてましたので、英語でも動詞化が見られます。

で、話は変わりますが、先日の「もんじゃ」の時に「どんどん焼き」という言葉を調べたのですが、他にも子供のときには使ったが、今は使わなくなってしまった言葉を調べてみました。JJの母親は以前書いたように江戸っ子で、何代か前は江戸時代に湯島天神の門前で酒屋を営んでいたということですから、すべて江戸で使われていたものだと思います。ちなみに、湯島は山の手台地の上ですから、厳密に言うと下町ではありませんね。

おつけ:一日は朝食からはじまります。朝食には「おつけ」がつき物です。これは辞書で引くと「御付け」あるいは「御汁」と書くようで、ようは「味噌汁」のことです。丁寧に言うと「おみおつけ」ともいいますが、今では使わなくなってしまいました。落語の中ではたまに出てくることはあります。

おてしょ:朝食のメニューは、おつけとおしんこと、生卵と、炙った海苔ですかね。昔は味付け海苔ではなく、焼き海苔でもなかったので、干し海苔を火で炙って香ばしくなったのを小さく切ってご飯と一緒に食べたものです。そんで、醤油をつけるのに使う小皿のことを「おてしょ」と言いました。これも今では聞きませんね。どうも「手塩皿」から来た言葉のようです。

きびしょ:朝食と一緒に、あるいは食後に日本茶でも飲みましょうか。そこで、日本茶を入れる道具を「きびしょ」と言いました。これは急須のことです。これはなんでも中国伝来の茶器で「急焼」というのがあって、急須よりも薄くて直火にかけるもののようです。この「急焼」の唐音読みからきたのが「きびしょ」だそうです。



<戦時中の食卓>

えもんかけ:朝めしを食べたしそれじゃぁ出かけようか、ってんで上着を羽織るんですが、上着がかかっているのが「えもんかけ」。今で言うハンガーですね。これはもともと和服をかける「衣紋掛け」から来たもので、洋風用のハンガーのことも昔は「えもんかけ」と呼んでいました。今では使われない死語(この言葉は好きじゃないですね)ですが...


こういった言葉たちは方言だとばっかり思っていたら、実はそうでもなくて広範囲で通用していた事がネットで調べると判ります。いつの間にか、人々が忘れ去ってしまった、古語みたいなものですかね?

こんなことを調べられるネットってやっぱり偉大です。

2009年9月21日月曜日

カタバミの栽培

カタバミ(漢字だと「酢漿草」と書くようです)って、雑草ですね。

JJの育った昔の下町には、ほとんど緑がなくて、空気が悪かったですね。昔のことで、公害問題とか、光化学スモッグとかが騒がれていたころです。

身近に植物を感じることも少なくて、街路樹のスズカケの木以外には、道端の雑草くらいしか目にしませんでした。雑草の中でも、結構勢力のあったのが、オシロイバナで、夏になると赤や黄色や白色の花を咲かせます。花の終わった後に直径5mmくらいの種ができますが、これをつぶすと中から灰白色の「おしろい」のような粉が出てきます。子供のころは良くこれをつぶして遊びました。線路脇にはエノコログサ(別名ねこじゃらし)やヒメクグなどが繁茂しています。そして、地面に目をやると、スズメノカタビラやゼニゴケ、そして、カタバミの登場です。

JJは今は超高層マンションに住んでいますが、以前は芝生のあるところに住んでいました。芝生はきれいにしようとすると、結構手間のかかるもので、毎週末になると、芝生の手入れに熱中したものです。子供のころは、数少ない身近な植物として慣れ親しんだ雑草類ですが、芝生園芸家にとっては、百年の仇のようなものでした。

ある程度の面積の地面を特定の植物だけで覆うということ自体が不自然な発想なので、致し方ないのですが、芝生には当然雑草がいろいろと生えてきます。前述のヒメクグ、スズメノカタビラのほかに、ノチドメ、ネジバナなどなど、そして、一番手ごわいのがカタバミです。

カタバミは地下浅い部分に匍匐茎(ほふくけい)を延ばし、伸びた匍匐茎の途中から地上に顔を出します。ですから、一箇所を抜こうとしても、匍匐茎が残ってしまうと、またそこから芽を出しますので、厄介なのです。また、カタバミの匍匐茎は芝の匍匐茎の下部に回り込んじゃうこともありますので、丁寧に取り除く必要があるのです。カタバミを抜かずに放っておくと、匍匐茎での繁殖のほかに、花が咲いた後に鞘が生成され、そこから熟した種子がはじけ飛ぶので、どんどん増えていきます。

雨上がりの作業で、土壌が柔らかくなっていると、一箇所のカタバミを抜くと、匍匐茎ごと次々に「ポフポフポフっ」という感じで根こそぎ抜けることがあって、すごい快感です。

カタバミは日本では家紋の文様として広まっていて、五大紋(藤、桐、鷹の羽、木瓜、片喰(カタバミ))の一角を占めています。繁殖力が強いことから、子孫繁栄の願いを込めたものと考えられています。また、葉には蓚酸が含まれており、絞り汁は虫刺されに薬効があるようです。(JJは試してませんよ)

JJは超高層マンションのベランダ(30㎡くらいあります)で植物を栽培していますが、プランターに、時々カタバミが生えているのを見つけることがあります。いつもは抜いて捨てているのですが、今日は秋のせいか何となくいとおしくなって、栽培を試みることにしました。写真のようにガラス鉢に植えてハイドロカルチャーにしてみました。カタバミがハイドロになるのかどうか判りませんが、頑強な植物なので、きっと根付くことでしょう。

こうやって見ると、葉の形もハート型で、結構かわいいですね。

(参考:Wikipediaの「カタバミ」の項です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%90%E3%83%9F

2009年9月20日日曜日

下町の味「もんじゃ」について


また、しばらく間隔が空いてしまいましたね。もうすっかり秋の風を感じるようになってしまいました。しばらく忙しかったのと、少し体調がよくなかったのと、あまり良いネタを思いつかなかったので、少し休んでました。

今日は「もんじゃ」の話です。

JJは東京の下町の出身です。両親も下町の出身で、母方は代々江戸っ子です。生まれてから学校を出るまで、下町で育ちました(その後は神奈川に移住しました)。

下町には、駄菓子屋が結構ありました。(写真は戦前の駄菓子屋店頭風景)小学校の学区内に2~3軒以上はあったでしょうね。駄菓子屋は、子供心にいつもわくわくするものがありまして、おいしそうなお菓子や、わくわくするようなおもちゃや、とにかくいろんなものがありました。JJが好きだったのは、何といっても「くじ」つきのフーセンガムです。

「コリス」というような会社(Wiipediaで調べたらフエガムを作っている会社でハリスガムの子会社のようです)の製品だったと思いますが、まず、5円だか10円だか出して、フーセンガムを1枚買います。これはたとえばロッテのクールミントガムみたいに1枚ずつ紙に包まれていて、その包み紙をペロっと剥がすと内側に「はずれ」とか「1等」とか書いてあるわけです。

店頭には、あたりの場合の賞品が並べられていて、それはガムの詰め合わせでした。あたりの等級に応じて詰め合わせの大きさが変わります。JJはくじ運というものがないので、ほとんど当たったことはないのですが、1回だけ、2等か3等に当たったことがあって、それはもう、子供時代の一番の幸せな出来事でした。

他にもイチゴ飴というのがあって、飴の根元に長いタコ糸がついていて、それが束になっていて、買った後でタコ糸を引くと、あたりだと大きなイチゴ飴が取れるものがあり、これも大好きでした。また今でも売っていると思いますが、「マルカワ」の箱入りオレンジガム。これも当たり券が入っていて、あたるともう一箱もらえます。これも大好き。

で、話がそれましたが、「もんじゃ」の話です。下町出身というと、大概「じゃあもんじゃ焼きが好きでしょう?」と聞かれるのですが、正直なところ、JJはもんじゃは好きじゃありません。いまでこそ、立派なもんじゃ焼きやが存在していて、具も立派なものが入っていますが、昔の下町では、もんじゃは「しけた」食べ物でした。

駄菓子屋の話に戻りますが、駄菓子屋の中でも大型店で店内に余裕のある店は、鉄板つきのテーブルが2~3置いてあって、お好み焼きも提供していました。午後になると学校が終わっておなかを空かせた子供たちがお小遣いを握り締めて、おやつを食べにやってきます。で、大概は、「***天」という具の入ったお好み焼き(たとえばイカ天とか豚天とか)を食べるのですが、お金がない子は一番安い「もんじゃを食べます」。 正式のお好み焼き屋さんにもメニューに「もんじゃ」はありましたね。

その頃のもんじゃは中にほとんど何も入っていなくて、キャベツの切れ端が少しと、運が良いと揚げ玉が少し入っているくらいでしたね。タネも薄くて(ソースが入ってましたね)、焼いてもほとんど糊みたいになって、べちゃべちゃしてあまりうまくはなかったです。ただ、タネを薄く広げてヘラで薄く延ばして焦がすと、香ばしい「せんべい」と呼ばれる状態のものができて、これは多少おいしかったですね。

「もんじゃ」って語源は何なんでしょうか?江戸時代に両国橋のたもとにあった獣肉料理の店「ももんじや」から来たものか、あるいは、文殊菩薩からきたものか?三人寄ればもんじゃ焼きなんてね。

家で母親がお好み焼きを焼いてくれることもありましたが、母親は「どんどん焼き」と呼んでいました。これは浅草に住んでいた女優の沢村貞子さん(津川雅彦さんの叔母)の本(「私の浅草」という本でした)にも同じ言葉が紹介されていたので、昔の下町ではそんな呼び方をしていたんでしょう。ちなみに、東京風のお好み焼きは、薄くて具もあまり入っていません。厚さはいまでいう「チヂミ」くらいでしょうか。昔は縁日でよく売っていましたが、最近は縁日のお好み焼き屋台も広島風や関西風が主流になってしまいました。JJは少し寂しいです。

(後日談:いまはWikipediaがあって便利ですね。下記URLにもんじゃ焼きの由来が掲載されています。長年不思議だったどんどん焼きについても書かれています。もんじゃの由来はタネで鉄板上に文字を書いたので「文字焼き」から来たようですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%83%E7%84%BC%E3%81%8D