2010年2月21日日曜日

冬越しの植物たちと春の訪れ

冬は寒くてイヤですね。JJは昔から寒いのは苦手です。かといって、暑いのが得意というわけでもありません。まあ、ほどほどの過ごし易い陽気がいいですね。

植物たちも、寒いのが苦手なものもいれば、寒くても平気なものもいます。しかし、寒くても平気だとは言っても、一般的に冬場は活動が不活発になりますので、園芸としては特に作業することもありません。こんな冬場に植物たちはどうしているか近況をお知らせしましょう。

まずは、昨年の夏ごろにご紹介したビオトープのホテイアオイですね。以前にも書いたとおり、ホテイアオイは南方の植物なので、寒さには弱いです。通常は関東地方の冬は越せずに枯死してしまうのですが、今年はまだまだ頑張ってますね。今回の株は根を相当張っているので、持久力が違うかもしれません。そろそろ気温も上がってくるので、このまま行けばこの株は冬越しできそうです。鉢の中にはメダカがまだ健在のようです。

この鉢はリュービンタイですね。南西諸島や沖縄などに自生する南方系シダ植物です。寒さにはそれほど強くはないのですが、それほど弱くもないので、べランダでも何とかこんな感じで耐えています。ちょっと姿態がかっこいいので、最近インテリアなどで流行している植物ですが、ちょっと気を許すと葉柄を大きく広げ、室内だととても場所をとってしまいますので、気をつけましょう。
すっかり枯れたように見えるのは風知草です。この植物は本州の高原などに自生が見られますね。今は休眠期で、暖かくなると新芽が出てきます。夏になると涼しげな細葉が風に揺れて風流ですよ。
このモソっとした植物は、シダの仲間でシノブです。(実はJJはシダ植物が好きなのです)東京では夏になると夜店で「釣りシノブ」と称して、この植物にガラス製の江戸風鈴を吊り下げたのを売っていますね。これも最初は小さな株だったのに、こんなに大きくなってしまいました。これは常緑なので、台湾原産のトキワシノブですね。。

こっちは室内組です。寒さに弱い南方系観葉植物のハイドロカルチャーですね。

この辺の株はもう長い付き合いのものが多く、中には8年以上栽培しているものもあります。

木製棚上段の右側に見えるシダは前の写真のシノブを挿し木したものです。シノブは毛の生えた茎を延ばしますので、それを切り取って、発根させ、ハイドロカルチャーに仕立ててみました。

上段中央の薄緑の大きな葉はシンゴニウムです。熱帯性の植物で、サトイモの仲間ですね。

上段の左側はプミラです。これは比較容易に挿し木ができますので、どんどん増えてしまいますね。

これは去年購入したヘゴの赤ちゃんです。ヘゴというのは、南方製の木性シダで、小笠原や南西諸島などに自生しています。自生地では高さ10メートル以上にもなります。近場では伊豆半島の植物園(堂ヶ島洋ランセンターや熱川バナナワニ園)などでは、自生しているところも見られます。樹形は椰子のような感じですが、すっくと伸びたシダの幹の上部に葉の開いた様子はジュラ紀の森林を彷彿とさせますね。ヘゴの樹皮は加工して「ヘゴ板」として園芸資材としても活用されます。

JJがシダが好きなのは、何となく樹形が古代を思わせ、生態も原始的なところもあるのですが、なんと言っても、その芽の形態です。こうやって、ゼンマイのような芽が徐々に開いていって葉を広げていく様を見るのは心が癒されますね。

石ばしるたるみの上の早蕨の萌え出ずる春になりにけるかも

これは万葉集に納められた志貴皇子の御製ですね。早春のときめきと蕨の瑞々しさを非常にうまく詠みあげた名作です。この歌は新古今和歌集にも収録されていますが、ちょっと別バージョンになっています(石そそく垂氷のうへの...)。ちなみに、志貴皇子は天智天皇の皇子で、現在の天皇家の直系の先祖に当たります。

天気予報では明日から気温が上がり、春が近づくようです。

2010年2月14日日曜日

宇宙への夢

アポロ11号が月面に着陸したのは1969年7月20日のことです。JJがまだ小学生の頃ですね。この時のことは一生涯忘れる事がないほど鮮烈な記憶として残っています。

小学生時代に両親に買ってもらって隅から隅まで熟読したのが学研発行の「原色学習図解百科」でした。各巻の巻頭にはその巻がカバーする50音に含まれるトピックが図解で特集されているのですが、その第一巻の巻頭特集が「アポロ計画」だったのです。理科大好きで、いささか変わり者少年だったJJはそれを繰り返し繰り返し読んだものです。その記事の中には、サターン5型ロケットの構造や、月までの行程(どの時点で何段目のロケットを切り離して、月着陸船が着陸中は指令船が月の周回軌道を回って待機していてなどなど)が図解で掲載されていました。

最初の月着陸ミッションとなるアポロ11号の打ち上げが近づくと、テレビの報道などもアポロのニュースで一色です。宇宙船が月面に着陸、そして船外に宇宙飛行士が出てくるとなると、もう、国民はテレビの前に釘付けでした。夏休みに入ってすぐだったと思いますが、冷房もない部屋のテレビの前にみんな集まって固唾を呑んでアームストロング船長の第一歩を見守ったものです。ヒューストンからの問いかけから、ちょっと遅れて入る月面上の宇宙飛行士の言葉からさらに遅れて西山千さんの同時通訳が聞こえてきたのをいまだによく記憶しています。(写真提供NASA)

途中あまりに暑くなって、大通りの向かいの菓子店までアイスを買いに行かされたのですが、自動車が一台も走っていなくて、歩道にも人気(ヒトケ)がなかったことがよく印象に残っています。

アポロ計画が終了してから、残ったサターン5型ロケットを利用してSky Lab計画がありましたが、一般人からするとイマイチ盛り上がりにかけました。そうこうするうちに、Space Shuttle計画が始まり、再利用できる宇宙船ということで、また注目を集めました。そして、国際宇宙ステーション(ISS)計画です。

ISSは1998年に締結された日米欧の政府間協定により着手され、最終的には、アメリカ、ロシア、日本、カナダ及び欧州宇宙機関 (ESA) 加盟11ヶ国が協力して2010年秋の完成を目指し建設を進めています。

アポロ計画が冷戦期に国威発揚を目的としたものと捕らえるならば、ISSは冷戦後を象徴する事業といわざるを得ないでしょう。ISSは2020年まで運用するそうですので、今後は中国あたりも参加が期待されるのでしょうか?

昨年の12月から5ヶ月の予定で、日本人宇宙飛行士の野口聡一さんがISSに滞在しています。JJの子供のころは日本人の宇宙飛行士なんて想像もできなかったのですが、今では当たり前(それでも非常に限られた人たちだけですが)のことになってしまったのも隔世の感です。

野口さんはインターネットアクセスできる環境があり、Twitterにしばしば情報を提供してくれています。それも宇宙で撮影した綺麗な画像つきです。版権の関係が明確ではないので掲載できませんが、特に秀逸だと思ったのはこの写真です。手前にISSにドッキングしているソユーズが見え、隣にはスペースシャトル・エンデバー(STS130で訪問中)スペースシャトルの貨物室からは、ISSの新しいモジュールNode3がロボットアームによって下ろされています。そして、一番奥には、わが国の実験モジュール「きぼう」が見えます。日の丸がまぶしいですね。

野口さんのTwitterアカウント名は、Astro_Soichi です。是非宇宙飛行士の呟きと数々の美しい写真を楽しんでください。

2010年2月13日土曜日

偉大なるサターン5型ロケット

この次に投稿する記事を読んでもらえば判ると思いますが、今ちょっと宇宙づいています。この写真は2003年にフロリダに(一応仕事で)行った時に撮影したものです。SaturnⅤ型ロケットの一段目噴射口付近の写真。Kennedy Space Centerにて。

2010年2月7日日曜日

新しい植物の仲間

今日サカタのタネで購入したハイドロ苗を植えてみました。品種が書いてなかったので、よくわかりませんが、あまり見たことのないものです。葉の出方がカポックにも似ていますが。

羽田空港遠景

この時間帯は夕日に照らされて東京方面が良く見えます。羽田空港を飛び立つ旅客機の写真。中央は最近できた(1月14日運用開始)新しい管制塔で高さ116mあります。世界でも3番目の高さを誇る管制塔ですね。

2010年2月6日土曜日

冷戦時代の核シェルターを転用したデータセンター

最近忙しかったり、体調を崩していたり、ネタがなかったりということで、ブログの更新をサボっていました。読んでる方申し訳ありません。今日は、ちょっと変わったものを紹介しましょう。

以前の会社でドイツに顧客がありまして、その顧客がさらに顧客のデータセンターにJJの製品を納めていました。そのデータセンターというのが、大分変っておりまして、タイトルの通り、冷戦時代の核シェルターを転用したものなのです。

場所はドイツ南西部の大都市Stuttgartの西数十キロの森の中にありました。Stuttgartは工業都市として有名で、Mercedez BenzやPorcheの本社はもとより、終戦後の米国占領地域だったこともあり、米国系企業も多くあります。

冷戦時代は西側諸国は東側に向けミサイルを向け、東側は西側に向けといった状況で、いつ戦争(それも核戦争)が起こっても不思議ではないような状態でした。そのため、ドイツ(当時は西ドイツですね)国内にも各所にNATO軍や米軍の基地が置かれ、同時に要人の避難の為に各所に地下核シェルターが建設されました。私が訪問したのは、Stuttgart市及びその属するBaden-Württemberg州の地方政府要人が有事の際に避難するために建設された核シェルターを転用したデータセンターです。

実際に機器が設置されているのは核シェルター部分なのですが、システムの操作は地上にある事務所で行います。ここは瀟洒な感じで、森の中の別荘のようで、なんと言うこともありません。事務所から道路を挟んだ向かいに核シェルターがあります。

これが核シェルターへの門ですね。何か物々しさを感じますね。ワクワクしてくるでしょう。

地下核シェルターなので、地上部分はほとんどなく、土饅頭のようになっており芝生で覆われています。鉄塔のようなものは、核戦争後に他のシェルターと通信するための設備だと思いますが、着弾が近ければ鉄塔も吹き飛ぶか、溶けてしまうでしょう。写真で黒く見えるところが進入口です。

内部は地下5階の構造です。核攻撃に耐えるため、コンクリートの厚みはStuttgartの町(想定被攻撃地点)に面した部分は6mもあるといっていましたね。




内部に入って扉を閉めると、扉はこんな感じです。パイピングなどが気になりますが、作用などは良くわかりません。

内部には、避難してきた大勢の人に食物を提供するためのキッチンや、空気を濾過するための装置や、自家発電装置や、地下深くから飲料水を汲み出すための大深度井戸などが装備されています。

また、地方政府要人たちが、「これからどうすんべ?」と作戦を立てるための作戦司令室などもありました。

ただし、もともと核シェルターをデータセンターに転用しているので、データセンターとしての容量は貧弱なものがあり、スペースの隙間に多少ラックが並んでいるといった感じでした。

自家発電もあり、もと核シェルターなので、災害には滅法強いとは思いますが、そもそも核攻撃クラス災害があった場合に一箇所だけのサーバーが大丈夫でも意味があるんだろうかと考えてしまいますね。周辺の通信インフラとか死んじゃったらだめだろうしね。

このデータセンターは6年位前に訪問しましたが、その後繁盛しているのかどうか、よくわかりません。

この写真は地下深くから汚染されていない水をくみ上げる密閉式の大深度井戸です。地下空間にしばらくいたら、空気がよどんでいたせいか、みんな気分が悪くなってしまいました。この日の仕事はこれで終わったので、Baden-Badenまで足を延ばして温泉に入ってきました。

ここは何種類もの蒸し風呂やサウナや水風呂や温浴槽などがあって結構楽しめました。ちなみに水着ではなくスッポンポンで入る方式です。一応男女が別れているのですが、何故か最後のお風呂だけつながっていましたね。(ちなみにこの日は女湯は休みでした)

途中、スキンヘッズの強面のオニーサンにブラシで乱暴に体を洗われたりしましたが、なんとか無事に出てきました。

最後の部屋はRuhe Raumといって、静かな部屋で柔らかな毛布に包まって休みます。これがまた何とも気持ちよかったですね。核シェルターで気分が悪くなった一行も温泉で気を取り直しました。

ドイツというとビールのイメージが強いのですが、南西部のライン川やネッカー川の流域はワイン作りが盛んです。気候のせいもありますが、かつて古代ローマ帝国の一部だったという歴史もあったためですね。ちょっと郊外に行けばこんなブドウ畑を目にすることができます。

今日はランドマークタワーの一斉停電日で電気が消えている

2月6日と7日の2日間、ランドマークタワーが一斉計画停電で死んでいる、横浜の夜景(ちょっと見づらいかも)レア物ですよ。