2010年3月30日火曜日

満月の夜の横浜夜景

本日の横浜の夜景その2。

満月の横浜港

本日の横浜の夜景。月とベイブリッジ。今日は満月だな。 気温が低いので夜景がクリアですね。 

東京スカイツリー

日本一の高さに成長した、東京スカイツリー。JJの家から、望遠で撮影した写真をアップします。画面右端に写ってるのがスカイツリー。左端が鶴見のTVK送信所、そのすこし右が初代東京タワーです
本日のにゃんこ。

2010年3月29日月曜日

ホロホロえび

で、猫も飼うとなると結構手間がかかるものなんですね。今朝も4時にたたき起こされました。JJのペットで一番手間がかからないのが、このホロホロえびですね。ほったらかしといても自然に発生した藻を食べて生き延びています。たまに水を足すくらいです。猫みたいに懐ついたりはしませんが。

2010年3月28日日曜日

港町の風景(船舶の修理工場)

最近忙しくてブログの更新ができていません。読者の皆様ごめんなさい。

JJは横浜市民になってから、もう20年以上になります。最初の頃に住んでいたのは横浜市(なんと440平方キロもあります)でもはずれのほうで、港町らしさはまったくなかったのですが、海辺に近い今のところに引っ越してからは6年とちょっとになります。現在の住まいは家からも海が見えて、また、少し歩くと水辺があって、とても変化に富んでいて好きな地域です。家のある場所は再開発地域なので、超近代的な街なのですが、少し歩くと、何とはなしに漁村だった頃のような面影や、港町らしい風情を感じます。

今日は、そんな中で、船舶の修理工場をご紹介しましょう。

普通の町中で、自動車の修理工場はカーディーラーを含めて良く見かけますが、船の修理工場はなかなか見かけることはありません。やはり水路が通じていないと修理する船も運びようがありませんので、船舶修理工場は当然水辺に位置することになります。

JJの家からすぐのところに一軒船舶修理工場があります。上から見るとこんな感じに見えます。

ちょっと見難いかもしれませんが、写真中央のガレージのように見えるところが船舶修理工場です。地図で言うとこの辺になります。


大きな地図で見る

この辺は地図を見ても判るとおり、かなり水路が入り組んでいます。運河として掘ったというよりは、元々海だった場所を埋め立てるときに水路として埋め残した感じですね。修理工場の前の水路は以前の記事で紹介した神奈川台場に向かう二本の築堤の北東側にあたります。

現在横浜港に入港する貨物船のほとんどはコンテナ船に替わり、本牧埠頭や大黒埠頭を中心としたコンテナ埠頭でガントリークレーンによる荷役が行われています。コンテナ船が主流になる以前は汎用貨物線による港湾荷役が主流で、貨物船は埠頭ではなく沖合いに停泊し、そこで、艀(ハシケ)に荷物を積み替えて、岸壁の倉庫まで運んだものでした。荷役は沖仲士と呼ばれる港湾労働者によって、人海戦術で行われていたものです。当時は艀に積替えられた貨物が、こういった細かい水路を航行して、岸壁の倉庫や貨物駅で荷揚げされたものだっとと思われます。この船舶修理工場の面している水路は、東高島貨物駅にも面しており、昔の写真を見ると、艀から荷揚げされた貨物が、国鉄の貨車に積替えられていたりしていました。

水路の今はこんな平和な風景です。このへんは不法係留船舶が結構多いですね。

港湾荷役最盛期は全国から沖仲士としての職を求める日雇い労働者が集合し、大変な賑わいだったようです。そういうった労働者のことを風太郎(いまでいうプータロー)と呼んだだそうです。横浜にも有名な簡易宿泊所街が中区寿町周辺にあり、東京の山谷や大阪のあいりん地区と並んで有名です。

それで、話題の船舶修理工場の近影はこんな感じです。
ちょっと牧歌的な感じはありますね。
不法係留船なのか修理待ちなのか、ちょっと判りませんが、修理工場の前の水路には船がたくさん停泊しています。

以前日本テレビで「たったひとつの恋」という連続ドラマを放映していました。2006年10月14日から2006年12月16日まで、毎週土曜日21:00~21:54に放映されていて、主演は亀梨和也と綾瀬はるかだったのですが、亀梨演じる主人公は貧乏な船舶修理工場の息子という設定で、この修理工場でロケされました。ちなみに綾瀬はるかの方は金持ち(想定ではスタージュエリーの社長令嬢)という設定でした。実際の修理工場自体はひっきりなしに船舶修理に従事しているので、傍から見ると繁盛しているように見えます。日本テレビの「たったひとつの恋」公式サイトはこちら。

港湾荷役の近代化と埠頭の移転であまり港町らしくなくなってきた横浜ですが、よく見ると船にまつわるこんな工場が身近にあったり、町中に船具を扱う会社があったりと、普通の町とは一風変わった情緒を持っています。

2010年3月20日土曜日

昔飼っていた猫(ミケ)の写真

昔飼っていた、野良猫出身のミケの写真です。20年以上も前の写真ですので、当然本人(本猫?)は他界しました......

2010年3月7日日曜日

爵位を約4,000円で通信販売する(自称国家)シーランド公国

2月はずっと忙しかったので、ブログの更新がおろそかになっていました。読者の方すみません。今日はちょっと変わった話題です。

実態もないのに、お金で学位を発行するディプロマ・ミル(Diploma Mill : 証書工房)というのが以前から結構問題になっていて、学歴詐称の温床にもつながっているようですね。米国では州ごとに、「この教育機関から発行された学位記は無効です」といったリストも出されているようです。と、いうような事を調べていたら、件名のように「爵位」をネット通販している自称国家の「シーランド公国」を見つけました。成立経緯などを見ても非常に興味深いので、少しご紹介しましょう。

シーランド公国の実態は、第二次大戦中に英国の沖合いに作られた防空要塞です。英国東海岸の沖合いの比較的浅い海底に基礎を沈め、そこに円筒形の構築物二本を建築し、その上に甲板を渡したような構造をしています。実際には造船所で製造された後現場まで台船で曳航し、設置場所に沈められたと思われます。円筒形構築物の内部は7階層もあり、かつては駐屯兵の居住区や弾薬庫などに使用されていたようですね。

大戦中は数百名の兵士が駐屯し、英国本土を襲うドイツ軍の航空機に攻撃を仕掛けていましたが、戦争の終結とともに、やがて放置されてしまいました。ところが1967年9月2日に元英国陸軍少佐で海賊放送の運営者だったパディ・ロイ・ベーツが、英国放送法違反で訴えられたため、当時英国の領海外に存在したこの要塞に目をつけ独立宣言を発表、要塞を「シーランド」と名付け、自らロイ・ベーツ公と名乗ったそうです。

その後英国政府はベーツを強制的に立ち退かせようと裁判に訴えましたが、1968年11月25日に出された判決では、シーランドが英国から3海里の領海外(当時の基準)に存在し且つ英国を含めて周辺諸国が領有を主張していなかったことから、英国司法の管轄外とされ、英国司法の及ばない空白地帯となり、シーランドは独立を達成したと言うことになったようです。

シーランド公国の「領土」(パブリックドメイン写真)
その後、ドイツ人の「首相」によるクーデタなどを経ましたが、混乱はすぐに収まり、シーランド公国はまだ存在しています。もちろん世界中にこの国を承認する国家はありませんし、国際法上でも国家とするには問題が多い(そもそも陸地ではないし)ので、あくまでも「自称国家」です。しかも領土がわずか200㎡というバチカンよりも小さい世界最小の国家です。現在は老齢になったベーツ公はスペインに引退し、息子のベーツ公子が統治しているようです。

シーランド公国は、元々の生業である海賊放送も続けているようですが、その他に硬貨(シーランド・ドル)を発行したり、切手を発行して販売したり、また件名のように爵位を発行したりして稼いでいます。

爵位はLord, Lady, Baron, Baronessから選べ(正確にはLordとLadyは爵位ではないのですが)、29.99ポンド(+郵送料4.99ポンド)でネットで申し込みが可能です決済はGoogleのシステムを利用しているようです。他にも切手セットなども販売しています。政府の公式ページのホームから→Shopで入って爵位を買うのも変なものですが...

履歴書や経歴に爵位を書く人はいないと思いますので、経歴詐称みたいな話しにはつながらないと思いますが、あくまでもお遊びですね。ちなみにシーランド公国外務省の住所は、

Bureau for External Affairs
SEALAND 1001
Sealand Post Bag
FELIXSTOWE IP11 9SZ
UNITED KINGDOM

っていうことで、英国内の私書箱ってところが笑えます。

シーランド公国公式ホームページ
シーランド公国政府ホームページ