2009年9月20日日曜日

下町の味「もんじゃ」について


また、しばらく間隔が空いてしまいましたね。もうすっかり秋の風を感じるようになってしまいました。しばらく忙しかったのと、少し体調がよくなかったのと、あまり良いネタを思いつかなかったので、少し休んでました。

今日は「もんじゃ」の話です。

JJは東京の下町の出身です。両親も下町の出身で、母方は代々江戸っ子です。生まれてから学校を出るまで、下町で育ちました(その後は神奈川に移住しました)。

下町には、駄菓子屋が結構ありました。(写真は戦前の駄菓子屋店頭風景)小学校の学区内に2~3軒以上はあったでしょうね。駄菓子屋は、子供心にいつもわくわくするものがありまして、おいしそうなお菓子や、わくわくするようなおもちゃや、とにかくいろんなものがありました。JJが好きだったのは、何といっても「くじ」つきのフーセンガムです。

「コリス」というような会社(Wiipediaで調べたらフエガムを作っている会社でハリスガムの子会社のようです)の製品だったと思いますが、まず、5円だか10円だか出して、フーセンガムを1枚買います。これはたとえばロッテのクールミントガムみたいに1枚ずつ紙に包まれていて、その包み紙をペロっと剥がすと内側に「はずれ」とか「1等」とか書いてあるわけです。

店頭には、あたりの場合の賞品が並べられていて、それはガムの詰め合わせでした。あたりの等級に応じて詰め合わせの大きさが変わります。JJはくじ運というものがないので、ほとんど当たったことはないのですが、1回だけ、2等か3等に当たったことがあって、それはもう、子供時代の一番の幸せな出来事でした。

他にもイチゴ飴というのがあって、飴の根元に長いタコ糸がついていて、それが束になっていて、買った後でタコ糸を引くと、あたりだと大きなイチゴ飴が取れるものがあり、これも大好きでした。また今でも売っていると思いますが、「マルカワ」の箱入りオレンジガム。これも当たり券が入っていて、あたるともう一箱もらえます。これも大好き。

で、話がそれましたが、「もんじゃ」の話です。下町出身というと、大概「じゃあもんじゃ焼きが好きでしょう?」と聞かれるのですが、正直なところ、JJはもんじゃは好きじゃありません。いまでこそ、立派なもんじゃ焼きやが存在していて、具も立派なものが入っていますが、昔の下町では、もんじゃは「しけた」食べ物でした。

駄菓子屋の話に戻りますが、駄菓子屋の中でも大型店で店内に余裕のある店は、鉄板つきのテーブルが2~3置いてあって、お好み焼きも提供していました。午後になると学校が終わっておなかを空かせた子供たちがお小遣いを握り締めて、おやつを食べにやってきます。で、大概は、「***天」という具の入ったお好み焼き(たとえばイカ天とか豚天とか)を食べるのですが、お金がない子は一番安い「もんじゃを食べます」。 正式のお好み焼き屋さんにもメニューに「もんじゃ」はありましたね。

その頃のもんじゃは中にほとんど何も入っていなくて、キャベツの切れ端が少しと、運が良いと揚げ玉が少し入っているくらいでしたね。タネも薄くて(ソースが入ってましたね)、焼いてもほとんど糊みたいになって、べちゃべちゃしてあまりうまくはなかったです。ただ、タネを薄く広げてヘラで薄く延ばして焦がすと、香ばしい「せんべい」と呼ばれる状態のものができて、これは多少おいしかったですね。

「もんじゃ」って語源は何なんでしょうか?江戸時代に両国橋のたもとにあった獣肉料理の店「ももんじや」から来たものか、あるいは、文殊菩薩からきたものか?三人寄ればもんじゃ焼きなんてね。

家で母親がお好み焼きを焼いてくれることもありましたが、母親は「どんどん焼き」と呼んでいました。これは浅草に住んでいた女優の沢村貞子さん(津川雅彦さんの叔母)の本(「私の浅草」という本でした)にも同じ言葉が紹介されていたので、昔の下町ではそんな呼び方をしていたんでしょう。ちなみに、東京風のお好み焼きは、薄くて具もあまり入っていません。厚さはいまでいう「チヂミ」くらいでしょうか。昔は縁日でよく売っていましたが、最近は縁日のお好み焼き屋台も広島風や関西風が主流になってしまいました。JJは少し寂しいです。

(後日談:いまはWikipediaがあって便利ですね。下記URLにもんじゃ焼きの由来が掲載されています。長年不思議だったどんどん焼きについても書かれています。もんじゃの由来はタネで鉄板上に文字を書いたので「文字焼き」から来たようですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%83%E7%84%BC%E3%81%8D

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