という名科白とともに登場する旗本退屈男、諸羽流青眼崩しという無敵の剣技で、周囲を取り囲む悪者をバッタバッタと切り倒す華麗で痛快な殺陣。まさに時代劇の醍醐味ですね。
旗本退屈男は佐々木味津三が昭和四年に発表した時代小説で、当時自らのプロダクションを持っていた剣劇スタアである市川右太衛門が気に入って映画化。昭和五年から昭和三十八年までの間に計30本もの映画が製作されました。その後、テレビでも市川右太衛門で1本、その息子の北大路欣也の主演で十数本のドラマとして製作されているようです(その他の俳優でも数本)。
ちなみに佐々木味津三は「右門捕物帳」というシリーズも書いており、こちらは嵐寛寿郎主演で36本も映画化されています。当時は時代小説の人気作家だったようです。
Youtubeに旗本退屈男第一作の映像がありましたのでリンクを上げておきます。 この当時はサイレントなので、弁士の解説付きです。その後映画も音声付のトーキーに移るのですが、多くの俳優がトーキー化の流れで脱落する中で、市川右太衛門は器用に生き残っていきます。
武家屋敷(江戸ではなく松江ですが) |
江戸時代は幕府に直接仕えていた武士は旗本と御家人と呼ばれ、旗本は直接将軍に面会することが許される御目見えかつ一般的に家禄200俵以上を言うようです。寛政年間(元禄よりも100年ほど後)の資料によると、その数が5,158家(200俵未満の旗本も含んでいますが)。その下の御家人を合わせると17,000家ほどに上るようです。
しかし、 早乙女主水之介のように1,200石以上もの石高を与えられた大身の旗本は626家ですので、旗本の中でもかなりな上澄みですね。1,200石と言っても収量が1,200石の知行地の徴税権を与えられということです。旗本知行地の場合の税率は四公六民と言って40%(不作の年もあるので実勢は35%という説もあり)ですので、実際の早乙女家に入るのは、1,200石×0.4=480石。当時の1石は貨幣で1両ですので、年収480両ということになります。当時の1両が今の貨幣価値でどのくらいに相当するのかは変換が難しいのですが(江戸時代でも時代によって変わってくる)、ここでは1両=12万円と計算すれば、早乙女家の年収は5,760万円ということになります。
年貢の取り立て |
旗本屋敷の例(330坪) |
無役の旗本が何人くらいいたのか、ちょっと数字が出てきませんが、小普請は家禄のある浪人とも呼ばれ、幼年小普請、老年、しくじり、病気小普請などの俗称もあるようですので、無役でいるのは何らかの「わけあり」な殿様だということになります。当時の番衆狂歌というものに、こんな歌が残っています。
小普請は公儀おきてを知らずして 自まま気ままの不行跡あり
早乙女主水之介も何らかの問題を抱えていた人物だったのでしょう。
ということで、旗本退屈男・ 早乙女主水之介は無役で小普請組には出仕すものの、大変暇だったので、たいそう退屈していたものと思われます。しかし、旗本は将軍直属の家来でありますので、知行地に行くなどの職務以外で勝手に江戸を離れるわけにはいきません。 早乙女主水之介のように退屈だからと言って、上役に断わりもなくふらっと遠方に旅立つようなことは実際にはできなかったと思います。
番町の地図 |
ちなみにこの大熊家の場所は現代の住所でいうと、東京都千代田区六番町で、現在は河合塾麹町校があるようです。
Nice Info
返信削除Arigatougozaimasu
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