2018年8月19日日曜日

電気パンと帝国陸軍戦車隊

大田区南久が原にある「昭和のくらし博物館」という施設を訪れてみました。ここは小泉孝という建築家が戦後昭和26年に建てた家を、長女の小泉和子(元京都女子大学教授)が、昭和20年代から30年代の庶民の暮らしを伝える目的で、1999年に博物館として開館したものです。
  (昭和のくらし博物館ホームページ)
  (昭和のくらし博物館Wikipedia記事)
博物館の詳細については上記リンク先を参照ください。

昭和生まれ・育ちの自分には色々と懐かしいものが展示されており、実習で来ていた女子大学生(博物館学芸員の資格取得のため)が親切に説明してくれました。(といっても展示品に関しては自分のほうが詳しかったりしますが)ただ、自分が生きてきた時代よりも10年ほど前の時代のものが多く、感傷に浸るには少し時代のずれを感じてしまいました。館内は撮影禁止なので、残念ながら写真はありません。

この博物館では不定期にイベントが開催されており、訪問した日はたまたま下記の「電極式パン焼き器で当時のパンを焼いてみよう!」というイベントが行われており、説明してくれた実習生からの強いお誘いもありましたので、参加してみました。本来こういった参加型のイベントってあまり好きではないのですが..


そういえば昔、母親から「終戦直後は電気パン焼き器でパンを焼いて食べていた。」といった話を聞いていたので、多少は興味があったのです。電気パン焼き器というので、ニクロム線で加熱してパンを焼くものと想像していたのですが、実際はパン生地に直接100V-ACの電流を流して、パン生地から発生するジュール熱でパン生地を温めてパンの焼成を行うものでした。これは目から鱗であります。

イベントで丁寧に説明してくださったのは神奈川大学の青木先生夫妻で、青木先生はパン焼き器の再現と改善を、学生実験に取り入れつつ30年間も研究されてきたとのことです。

右の写真が青木先生が長年の研究に基づき再現&改良された電気パン焼き器です。長方形の木の箱の長辺側に対向するように電極が置かれています。電極は鉄でもアルミでも良いのですが、錆の発生や焦げ付き、また生地への溶け出しを考慮して純チタンが使われています。

 で、このパン焼き器の中に生地を流し込みます。レシピは
薄力粉       150g
ベーキングパウダー 6g
食塩        0.4g
砂糖        25g
水         190cc



今回の生地には、イーストは入っておらず、発酵も省略しています。次に電極に通電します。単純に電灯線から交流の100Vをかけています。電流を見るために交流の電流計を接続しています。生地には水分があり、また食塩やベーキングパウダーも含まれていますので、電流が流れ始めます。電流はだんだんと大きくなりますが、水分も失われていくため、ある値(4.5Aくらいだった)をピークに電流はいったん減ります。

さらにこの後でんぷんが変性するらしく、若干電流値が増加した後なだらかに減少してついにゼロになれば電気パンの出来上がりです。出来上がり後はきれいに電極から外れて、切り分けて他の来館者の方々と頂きました。蒸しパン風の風味でしたがなかなかおいしかったです。通電開始から焼き上がりまで約8分程度でした。

同じようにしてご飯も炊けるようです。実演も始まったのですが、こちらは20分かかるという事で、この辺で中座してしまいました。ちなみに炊飯の場合も通常とは異なり少量の食塩を添加します。

この電極式パン焼き法を考案したのは、 帝国陸軍の阿久津正蔵という方で、終戦時は主計大佐まで上った軍人(といっても主計なので直接戦闘は行いませんが)です。陸軍からは中国大陸特に満州などの寒冷地に展開する戦車隊の糧食の調理(飯が炊け、パンが焼ける)を効率的に行う給養車の開発を下命され、昭和5年から3年間東京帝国大学工学部に陸軍依託学生として在学し、この電極式パン焼き器を考案しました。

電極式パン焼き器(炊飯も可能ですが)を装備した給養車は九七式炊事自動車と命名され、300台が製造・配備されました。また研究段階で海軍技研の協力も得た関係から海軍にも注目され、同様の設備が海軍の潜水艦にも装備されたとのことであります。

終戦後になって、おそらく米国からの援助物資であろう小麦粉(当時はメリケン粉と呼んだかも)が手に入るようになり、それを調理するための電極式パン焼き器が民間にもかなり流行ったようです。黎明期の東京通信工業(今のSONY)なども売り出していたようですし、有り合わせの部材で適当に自作する人たちも多かったようです。どういう経緯でこのような軍事技術が民間に転用されたのかは興味深いですね。九段の昭和館に当時のパン焼き器がいくつか収蔵されています。また同様の仕組みを利用した炊飯器も市販されていたようです。


電極式パン焼き器の発明者である阿久津大佐は、軍用パンの研究のため派遣されたドイツで終戦を迎え、戦後帰国するも公職追放で職からは遠ざかっていたのですが、それまでの研究が評価され、日本パン技術協会の会長に就任されたそうです。電極式パン焼き方式は現在でもパン粉の製造に広く使われており、日本で生産されるパン粉の約半分は電極式で焼かれているそうです。この方式のほうがオーブンで焼くよりも焦げ目がなく、白いパン粉が生産できることから好まれているようです。

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