2018年9月15日土曜日

京王井の頭線・池ノ上駅の「池」を探す

しばらく新宿は十二社の池を追ってみましたが、街中の「池」は割と簡単に痕跡も残さず消えてしまうので、地名に残っている「池」を探すのも面白くなってきました。で、今回は京王井の頭線は池ノ上駅の話です。

池ノ上は渋谷から井の頭線で3駅目の、各駅停車しか止まらない、あまり存在感もない小さな駅です。 周辺は住宅地と学校がいくつかで、あまり目立った施設もありません。一つ手前の駒場東大前駅や一つ先の下北沢駅に比べると知名度は圧倒的に低いと思います。


それで、以前から気になっていたのですが、「池ノ上」と言うからには、下の方に池があるはずです。で、現在の地図を見てみると..
 どうも周囲に池らしきものは見当たりません。

それでは、時代を140年くらい遡って、明治初期の地図を見てみましょう。
 帝都電鉄(現在の井の頭線)の線路が敷かれたのが昭和8年の事ですから、まだ当地に鉄道はありません。地図の下の方に川が二本流れていて合流している箇所が見られますが、池らしきものは見当たりません。この辺は、等高線を見てもだいぶ下がった場所のようです。別の地図を見ると北側の川は北沢用水(あるいは北沢川)、南側の川が烏山用水(あるいは烏山川)とあり、合流して目黒川になります。目黒川は中目黒を通って五反田に抜け、最後は天王洲のあたりで東京湾に注ぎます。河口付近は川の地下に首都高速中央環状線が通っています。

北沢用水(北沢川)に関してはこちらのブログ(東京の水2000)に興味深い記述がありましたので、併せてご参照ください。

さて、池はどこかという話でしたね。もう少し探ってみましょう。明治初期の地図を見ていただくとわかるように、二つの用水の合流地点に下側に、池尻村という地名が見えます。目黒川が大山街道(国道246号線)をくぐるところにかかっていたのが大橋で、現在の池尻大橋の駅名につながっています。

Wikipediaの「池尻」の記事にはこう書いてありました。

~北沢川烏山川が合流し目黒川となる付近で沼沢地帯を為していた。池尻の「尻」とは「出口」という意味で池や沼や湖が川に落ちる部分のことを示している。「いけしり」や「いけのしり」という呼称もある~

という事で、北沢用水と烏山用水の合流地点付近が、昔は湿地帯になっていたらしく、ここが「池」だったようです。それで「池」の上の方に池ノ上駅ができ、池の水が流れ出す地点に池尻村ができたものと思われます。江戸時代の地図があれば、池が見つかったかもしれませんが、この辺は朱引きの外(いわゆる江戸市外)なので、当時の切絵図もありません。
上の地図は60年くらい前、高度成長期前夜のものです。北沢上水も烏山上水も見られますが、その後1970年以降に順次暗渠化されてしまったようです。暗渠化の跡は緑道として整備され、暗渠の方は下水道として利用されていますが、地上の緑道部は近年では下水処理水を流してせせらぎを再現しているようです。

上の図は同じ場所の5mメッシュで段彩陰影を施したものです。やはり二つの上水の合流地点は地面が低いことが分かります。現在は治水対策がしっかりとられているのでしょうが、こういう場所は潜在的な水害のリスクがあるかもしれませんね。

 と思って、世田谷区の洪水ハザードマップを見てみたら、やはり二つの用水と合流地点それから目黒川に沿っては、洪水のリスクありという事になっていました。昔の水路とか、湿地とかが都市化で隠れてしまうのですが、いくら暗渠になっても、湿地の過去は消せないという事ですね。おそらく、昔あったはずの「池」とはハザードマップで青くなっているあたりなのだと思います。

失われた「池」はハザードマップの中にあり。と言ったところでしょうか。

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