2009年11月8日日曜日

ショーセンデンシャ(省線電車)の思い出

JJが子供のころに住んでいた地区には、鉄道といえば、京成電鉄と東武鉄道が走っていました。親と電車に乗ってどこかに出かけるときには大体東武か京成に乗って行きます。一方で、都電もありましたので、「電車で行く」という時には、都電を意味することもありました。

国鉄(今で言うJRですね)は余り近くに無かったので、めったに乗ることはありませんでした。当時は国鉄の電車のことを国電といいましたが、子供のころはJJの親は「ショーセンデンシャ」と呼んでいたのを覚えています。子供のころなので、「ショーセンデンシャ」が漢字に結びつかなかったのですが、漢字で書くと何のことは無い、「省線電車」になります。国鉄は日本国有鉄道の略ですが、それ以前は鉄道省が経営していたので、省線といったもののようです。

JJは国鉄世代なので、JRになってからも時々「国電」といってしまうことがありましたが、今はさすがにそういったことはありません。民営化後の一時期、JR東日本が「E電」という呼称を普及させようとしていましたが、定着する前に、見事に忘れ去られてしまいましたね。

それで、近所には国鉄が走っていなかったので、親が話している「ショーセンデンシャ」というものが、どんなものか想像が付きませんでした。何か、とんでもなくすごいものを想像していました。

国鉄は昭和32年以降新型の通勤電車として101系の展開を始めました。101系以降の通勤電車は、路線ごとにカラフルな塗装がされています。一方、それ以前の電車を旧型国電といい、代表的な電車として戦中量産型電車である63系を改良した72系と呼ばれるものがあります。旧型国電は、カラフルではなく、茶色に塗装されていました。この色は旧国鉄では「ぶどう色2号」と呼ばれていたようです(ちなみにマンセル値は「2.5YR 2/2」)。「省線電車」という呼称にふさわしいのは、ぶどう色2号塗りの旧型国電ですね。



これはもちろん本物ではなくてJJの部屋にある模型鉄道です。また実際の車両を正確に縮小したものではなく、型もフリーランスですが、まあ、こんな感じですね。

JJが学生のころは、ぶどう色2号の車両は都区内ではあまり目にすることはありませんでしたが、奥多摩のほうに登山などに行く時に立川駅で青梅線に乗り換えていきましたが、当時は青梅線には旧型国電が使われていたので、乗りました。当時は立川駅もずいぶん牧歌的で、木製の柵で改札内外が仕切られていたのを覚えています。現在は新宿から青梅線直通電車も出ていますし、すごく立派なエキナカもできていて、隔世の感がありますね。

旧型国電は床が木製でワックスの匂いがします。また、補強の為にドアのある位置にあわせて車内中央に金属製のポールが立っています。この金属製のポールは、掴まり易くて意外に便利なのですが、現在の山手線6ドア車両に受け継がれて復活しています。窓は3段式の木枠だったと思います。

旧型国電はホームに停車中には、床下で圧搾空気を作るコンプレッサーが「タムタムタムタムタムタムタムタム」とリズミカルな音を刻みます。また、ホームを発車すると、釣掛け式特有の「グゥァウォ~」という騒音を振りまきながら、車体を左右に揺らして加速していきます。エネルギー効率とかは良くないんでしょうが、蒸気機関車と同じように、何か電車が一生懸命走っている様が五感でもって感じられるってすごいですよね。

JR品川駅と大井町駅の間の西側に東京総合車両センターがあり、山手線の車両が止まっているのを見ることができますが、この車両センターの西側は旧大井工場にあたり、旧型車両の保存も行われています。湘南新宿ラインに乗ると、大崎-西大井間でこの旧大井工場の脇を通過します。電車から眺めると、見えるんですね、旧型国電が...

気になって調べてみると、この車両は昭和一ケタ時代に製造された31系17m車の末裔(クモハ12052・12053 )のようです。最後は鶴見線の大川支線で働いていたのが、1996年を以って引退したようです。ここに拡大写真が掲載されていますが、なかなかいいですね。まず、控えめなぶどう色2号の塗色、凛とした機能美を感じる姿、現代の標準的通勤車両の20m比べて少し小さい17mの短躯が引き締まって見えますね。また、表面に見出せる無数のリベット。(嗚呼、鉄と電気の時代、映画メトロポリスよ。)台車はDT11ですか、これも古臭くていいですね。

こういうものは産業歴史遺産として是非長期間保存して欲しいですね。

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