横浜コットンハーバー地区の上に昇る2009年大晦日の満月。手前に見えるオレンジ色の光は、横浜市中央卸売市場(青果部側)です。
2009年12月31日木曜日
神社なう。今年のお札と破魔矢を納めに。
2009年12月29日火曜日
2009年12月27日日曜日
ブルースの夜
JJは色んな音楽を聴くのですが、めんどくさがりなのであんまり自分からライブに行ったりはしません。でも、誘われれば断らないので、おつきあいでこじんまりしたシャンソニエとか、六本木の東京ミッドタウンにあるビルボード・ライブとかにたまに行ったりしてます。ミッドタウンには富士フィルムの写真ギャラリー(富士フィルムスクエア)があり、無料なので開演前に立ち寄ってきれいな写真を楽しんだりもできますね。
昨日はお友達に誘われて、その知り合いの方がやっているブルースバンドのライブに行きました。場所は渋谷です。会場のライブハウスは結構古くて味わいのある建物なのですが、再開発の道路用地ゆえ立ち退きのため来月いっぱいでなくなってしまうそうです。このバンドは毎月一回このライブハウスで演奏しているのですが、今回が最後になってしまいました。今後は渋谷の別のライブハウスに移って活動するようです。ステージの様子はこんな感じです。
会場が狭いので、非常に臨場感がありました。また、バンドの演奏は水準が高く、とても楽しめました。メンバーの方々はもちろん本職ではなく、他に仕事をお持ちです。ライブの詳しいことはお友達のブログに記事がありますので、こっちを見てください。演奏の録音もアップされています。
ブルースってJJにとって割と好きなジャンルで、Eric Claptonを筆頭に結構コレクションも持っています。学生の頃にブルースギターを弾きたくて、BB Kingのブルースギター入門という本を買ったことがありました(ソノシートつきです)が、挫折して本もどこかになくなってしまいました。もう一回挑戦してみますかね?
昨日はお友達に誘われて、その知り合いの方がやっているブルースバンドのライブに行きました。場所は渋谷です。会場のライブハウスは結構古くて味わいのある建物なのですが、再開発の道路用地ゆえ立ち退きのため来月いっぱいでなくなってしまうそうです。このバンドは毎月一回このライブハウスで演奏しているのですが、今回が最後になってしまいました。今後は渋谷の別のライブハウスに移って活動するようです。ステージの様子はこんな感じです。
会場が狭いので、非常に臨場感がありました。また、バンドの演奏は水準が高く、とても楽しめました。メンバーの方々はもちろん本職ではなく、他に仕事をお持ちです。ライブの詳しいことはお友達のブログに記事がありますので、こっちを見てください。演奏の録音もアップされています。
ブルースってJJにとって割と好きなジャンルで、Eric Claptonを筆頭に結構コレクションも持っています。学生の頃にブルースギターを弾きたくて、BB Kingのブルースギター入門という本を買ったことがありました(ソノシートつきです)が、挫折して本もどこかになくなってしまいました。もう一回挑戦してみますかね?
2009年12月23日水曜日
横浜から千葉県は見えるか(副題:水先人という職業)
ええっと、前回は横浜から筑波山が見えるかという記事でしたね。今回は千葉県ですね。千葉県というと、横浜から行くには東京を抜けていく必要がありますので、地面上では遠いのですが、東京湾というのは奥のほうこそ広がっているものの、入り口のほうは結構すぼまっているので、楽勝で見えてしまいます。
JJの家から対岸を見ると、君津や富津あたりが見えます。
ベイブリッジのちょっと右側で煙を上げているのは新日鐵君津製鉄所です。また写真の右端に見える煙突は東京電力の富津火力発電所です。港内では遊覧船のロイヤルウイングが航行していますね。
もう少し右側を見るとこんな感じです。
写真中央に遠くもっこり見えるのが鋸山ですね。インターコンチネンタルホテルの左側にちょっと出ているのが観音崎(神奈川県側)です。夜になると観音崎の灯台の光が見えます。今日は大桟橋にクルーズ船のパシフィックビーナスが停泊していますね。
もうちょっと左側を見るとこんな感じです。
風力発電用の風車の奥に水平に見える白い線は東京湾アクアラインですね。海ほたるの奥に見える煙突は東京電力の姉ヶ崎発電所でしょうか?
横浜駅から新日鐵君津製鉄所までは直線距離で24kmしかありません。戦艦大和の主砲だったら十分射程圏内ですね。
東京湾の入り口は浦賀水道と呼ばれていてもっとすぼまっています。そこをひっきりなしに貨物船やタンカーが航行しています。最近は乗りませんが、東京湾アクアラインが完成する前は南房に行くのに、久里浜から東京湾フェリーに乗ったものでした。フェリーは航行船舶の多数行き交う浦賀水道を横断しますので、船上で見ていると、右から左からやってきては目の前を掠めていく他の船舶に、よくぶつからないもんだと思って、ひやひやしたものでした。
東京湾は強制水先区といって、一定以上の大きさの船舶は水先人(英語だとPilot)を乗せることが義務付けられています。(船長の経験や船舶の種類(たとえば米軍の軍艦)などによっては免除されるようです)水先人というのは、一般にはなじみがありませんが国家資格で非常に取得が難しい難関資格との事です。水先人は地形や潮流などを熟知し、船長に対して操船の補助をします。収入は良い(開業医程度と聞いています)職業のようですが、荒れた海を小船で乗り付けて縄梯子で貨物船に乗り込んで...といった荒業も要求されますし、船舶事故を起こしてはいけませんので大変責任の重い職業だと思います。
水先人は船舶の安全を守るための大事な業務を担っているのですが、色々な職業があるものだと感心します。日本水先人連合会のホームページに詳しいことが記載されていますので、一読してみてください。ホームページには縄梯子(パイロットラダーというそうです)で船舶に乗り込む水先人の写真が掲載されています。
ちなみに、ここに水先料表が掲載されています。
JJの家から対岸を見ると、君津や富津あたりが見えます。
ベイブリッジのちょっと右側で煙を上げているのは新日鐵君津製鉄所です。また写真の右端に見える煙突は東京電力の富津火力発電所です。港内では遊覧船のロイヤルウイングが航行していますね。
もう少し右側を見るとこんな感じです。
写真中央に遠くもっこり見えるのが鋸山ですね。インターコンチネンタルホテルの左側にちょっと出ているのが観音崎(神奈川県側)です。夜になると観音崎の灯台の光が見えます。今日は大桟橋にクルーズ船のパシフィックビーナスが停泊していますね。
もうちょっと左側を見るとこんな感じです。
風力発電用の風車の奥に水平に見える白い線は東京湾アクアラインですね。海ほたるの奥に見える煙突は東京電力の姉ヶ崎発電所でしょうか?
横浜駅から新日鐵君津製鉄所までは直線距離で24kmしかありません。戦艦大和の主砲だったら十分射程圏内ですね。
東京湾の入り口は浦賀水道と呼ばれていてもっとすぼまっています。そこをひっきりなしに貨物船やタンカーが航行しています。最近は乗りませんが、東京湾アクアラインが完成する前は南房に行くのに、久里浜から東京湾フェリーに乗ったものでした。フェリーは航行船舶の多数行き交う浦賀水道を横断しますので、船上で見ていると、右から左からやってきては目の前を掠めていく他の船舶に、よくぶつからないもんだと思って、ひやひやしたものでした。
東京湾は強制水先区といって、一定以上の大きさの船舶は水先人(英語だとPilot)を乗せることが義務付けられています。(船長の経験や船舶の種類(たとえば米軍の軍艦)などによっては免除されるようです)水先人というのは、一般にはなじみがありませんが国家資格で非常に取得が難しい難関資格との事です。水先人は地形や潮流などを熟知し、船長に対して操船の補助をします。収入は良い(開業医程度と聞いています)職業のようですが、荒れた海を小船で乗り付けて縄梯子で貨物船に乗り込んで...といった荒業も要求されますし、船舶事故を起こしてはいけませんので大変責任の重い職業だと思います。
水先人は船舶の安全を守るための大事な業務を担っているのですが、色々な職業があるものだと感心します。日本水先人連合会のホームページに詳しいことが記載されていますので、一読してみてください。ホームページには縄梯子(パイロットラダーというそうです)で船舶に乗り込む水先人の写真が掲載されています。
ちなみに、ここに水先料表が掲載されています。
2009年12月20日日曜日
横浜から筑波山は見えるか
冬至も近くなって、だいぶ寒くなりましたね。今年の冬至は......っと、12月22日ですね。
晴天で気温が下がると遠くのほうが良く見えます。理由はよくわかりませんが、相対湿度の低下による地表付近での靄(もや)や霞(かすみ)の発生が抑制され、高気圧による下降気流により空気中の塵が地表に落ちてくるからでしょうか?もともと、JJの家は高い場所にあるので、遠くのほうがよく見えますが、特に冬場は一層遠くまで見ることができます。
JJの家から東京方面を撮ったのが下の写真です。ズームはしていません。
そこで、ズームして撮ると、上の写真より時刻は少し早いですがこんな写真が撮れます。
写真中央に鉄塔が二本見えると思います。手前の方は鶴見にあるTVKの送信所で、奥の小さいのが東京タワーです。東京タワーの右側二つ目のビルが愛宕ヒルズでその右側にちょこっと丸い影が見えると思いますが、これが筑波山です。JJの家から筑波山までおおよそ100Kmありますが、何とか見えましたね。冬場の晴天時に見える日がありますが、そんなに何日もあるわけではありません。
筑波山は茨城県から見ると孤立峯ゆえ雄大ですが、標高が900m弱しかありませんので、横浜から都心のビル街を通してみると、やっと見えるか見えないかと言ったところですね。ちなみにJJが通っていた東京下町の高校の校舎からはもっと大きく見えました。
一方で富士山の方は、距離が多少近いというのもありますが、さすがに日本一の雄大さを誇りますので、こんな感じに見えます(もちろんズームはしてます)。
右手前側の稜線は丹沢ですね。最初のピークが大山だと思います。冬の冠雪した富士山は荘厳で美しいですね。
ところで、筑波山は小学生のころ一度行ったことがあります。土浦から関東鉄道に乗って筑波駅で降りてバスに乗ったような記憶があります。土浦駅には入れ替え作業用に蒸気機関車が働いていたのが印象的でした。調べたら関東鉄道(筑波線)もずいぶん前に廃止になってしまったようですね。
晴天で気温が下がると遠くのほうが良く見えます。理由はよくわかりませんが、相対湿度の低下による地表付近での靄(もや)や霞(かすみ)の発生が抑制され、高気圧による下降気流により空気中の塵が地表に落ちてくるからでしょうか?もともと、JJの家は高い場所にあるので、遠くのほうがよく見えますが、特に冬場は一層遠くまで見ることができます。
JJの家から東京方面を撮ったのが下の写真です。ズームはしていません。
そこで、ズームして撮ると、上の写真より時刻は少し早いですがこんな写真が撮れます。
写真中央に鉄塔が二本見えると思います。手前の方は鶴見にあるTVKの送信所で、奥の小さいのが東京タワーです。東京タワーの右側二つ目のビルが愛宕ヒルズでその右側にちょこっと丸い影が見えると思いますが、これが筑波山です。JJの家から筑波山までおおよそ100Kmありますが、何とか見えましたね。冬場の晴天時に見える日がありますが、そんなに何日もあるわけではありません。
筑波山は茨城県から見ると孤立峯ゆえ雄大ですが、標高が900m弱しかありませんので、横浜から都心のビル街を通してみると、やっと見えるか見えないかと言ったところですね。ちなみにJJが通っていた東京下町の高校の校舎からはもっと大きく見えました。
一方で富士山の方は、距離が多少近いというのもありますが、さすがに日本一の雄大さを誇りますので、こんな感じに見えます(もちろんズームはしてます)。
右手前側の稜線は丹沢ですね。最初のピークが大山だと思います。冬の冠雪した富士山は荘厳で美しいですね。
ところで、筑波山は小学生のころ一度行ったことがあります。土浦から関東鉄道に乗って筑波駅で降りてバスに乗ったような記憶があります。土浦駅には入れ替え作業用に蒸気機関車が働いていたのが印象的でした。調べたら関東鉄道(筑波線)もずいぶん前に廃止になってしまったようですね。
2009年12月13日日曜日
クロトンとカイガラムシ
久々に園芸ネタです。
JJの家の机の周りには、色んな植物が置いてあります。植物を見てると気持ちが落ち着くからです。このクロトンのハイドロカルチャーは、もうずいぶん前から世話をしています。もう7年くらいになるかもしれません。
その原因はこいつです。葉っぱの上に白い粉のようなものが付着しているのが見えると思いますが、これは「カイガラムシ」です。この白い粉のようなものはカイガラムシを覆う分泌物のようなもので、リンク先の記事によれば「虫体被覆物」というそうです。
じつは最近デジカメを買いました。あんまりいいのではありませんが、一番安くてマクロ撮影のできるキャノンのA480というモデルです。いままでブログの写真はiPhoneのカメラで撮影していたのですが、色々と制約が多く、思ったとおりの写真が取れなかったので、限界を感じていたのですが、新しいカメラのマクロ撮影は強力です。で、上の写真はマクロで撮影したカイガラムシの本体です。ダンゴムシを延ばして漂白して縮めたような感じですね。
どうもカイガラムシはクロトンが好きでしょうがないようで、この木に取り付いて樹液を吸ってしまいます。(他の植物にはあまり寄生していないようです。)このせいで成長が遅いようなのです。
カイガラムシの駆除には色々な農薬も効果的で、オルトランなども実績はあるのですが、家の中の人間を含めた他の生き物たちの健康を考えると室内で使用するには問題があります。次善の策として、いつもやるのが「テデトール」の使用です。(「手で取~る」ということなのですが...)
まず用意するのが、使い古しのハブラシです。ハブラシはちょこっとした部分の掃除に便利なので、JJは自分で使った後、いつも使い古しのハブラシを取っておきます。洗剤を使用したものとカイガラムシ駆除用のものを混ぜたくないので、JJは専用ハブラシを持っています。(使い古しですが)
間違うといけないので、柄の部分に「カイガラムシ駆除専用」と拙い字(ハブラシの柄に文字を書くのは結構大変なので)で表記してあります。
次に行うのが鉢の養生です。ハブラシで落としたカイガラムシが鉢の根元に降り積もると、そこから這い上がってきますので、クロトンの根元と鉢全体を切れ込みを入れたビニール袋でしっかりと密封してやります。
後はこれを洗面所にもって行き、流水の元、専用ハブラシでカイガラムシどもを虫体被覆物ごと流してしまえばよいのです。前回は9月ごろにこの作業を行って完全に駆除したと思っていたのですが、ふと気づくと再びカイガラムシがたかっていたのです。この調子では来春ごろに次の駆除を行うことになりそうですね。定期的な駆除の手間を考えると、クロトンを買い換えてもいいのですが、何年も面倒を見てるとそれなりに愛着がわいてくるものです。
と、いうことで、JJはまた来年も何回かこの作業を行っていることでしょう。
JJの家の机の周りには、色んな植物が置いてあります。植物を見てると気持ちが落ち着くからです。このクロトンのハイドロカルチャーは、もうずいぶん前から世話をしています。もう7年くらいになるかもしれません。
クロトンは南方系の植物で、フィリピンなどでは植栽として地植えで平気に育っていますが、関東地方では冬場は室内で管理する必要があります。このクロトンも他の観葉植物と同じように最初はミニ観葉から始まったのですが、今ではこのくらいの大きさです。他の観葉植物の成長に比べるとちょっと育つのが遅いように感じます。これは、クロトンが草ではなく木だからという理由もあると思いますが、もう一つ別の理由があります。
じつは最近デジカメを買いました。あんまりいいのではありませんが、一番安くてマクロ撮影のできるキャノンのA480というモデルです。いままでブログの写真はiPhoneのカメラで撮影していたのですが、色々と制約が多く、思ったとおりの写真が取れなかったので、限界を感じていたのですが、新しいカメラのマクロ撮影は強力です。で、上の写真はマクロで撮影したカイガラムシの本体です。ダンゴムシを延ばして漂白して縮めたような感じですね。
どうもカイガラムシはクロトンが好きでしょうがないようで、この木に取り付いて樹液を吸ってしまいます。(他の植物にはあまり寄生していないようです。)このせいで成長が遅いようなのです。
カイガラムシの駆除には色々な農薬も効果的で、オルトランなども実績はあるのですが、家の中の人間を含めた他の生き物たちの健康を考えると室内で使用するには問題があります。次善の策として、いつもやるのが「テデトール」の使用です。(「手で取~る」ということなのですが...)
まず用意するのが、使い古しのハブラシです。ハブラシはちょこっとした部分の掃除に便利なので、JJは自分で使った後、いつも使い古しのハブラシを取っておきます。洗剤を使用したものとカイガラムシ駆除用のものを混ぜたくないので、JJは専用ハブラシを持っています。(使い古しですが)
間違うといけないので、柄の部分に「カイガラムシ駆除専用」と拙い字(ハブラシの柄に文字を書くのは結構大変なので)で表記してあります。
次に行うのが鉢の養生です。ハブラシで落としたカイガラムシが鉢の根元に降り積もると、そこから這い上がってきますので、クロトンの根元と鉢全体を切れ込みを入れたビニール袋でしっかりと密封してやります。
後はこれを洗面所にもって行き、流水の元、専用ハブラシでカイガラムシどもを虫体被覆物ごと流してしまえばよいのです。前回は9月ごろにこの作業を行って完全に駆除したと思っていたのですが、ふと気づくと再びカイガラムシがたかっていたのです。この調子では来春ごろに次の駆除を行うことになりそうですね。定期的な駆除の手間を考えると、クロトンを買い換えてもいいのですが、何年も面倒を見てるとそれなりに愛着がわいてくるものです。
と、いうことで、JJはまた来年も何回かこの作業を行っていることでしょう。
2009年12月5日土曜日
大艦巨砲主義の末路と戦艦大和の悲劇 (副題:昭和三大馬鹿査定)
テレビを見ていたら、「宇宙戦艦ヤマト 復活編」のCMをやっていました。宇宙戦艦ヤマトですか、懐かしいですね。「さらば~地球よ~♪♪」といまでも主題歌をカラオケで歌うのを耳にすることもありますね。
ということで、今日は本物の戦艦大和の話をしましょう。
昭和三大馬鹿査定という言葉があります。これは、1987年12月、政府予算復活折衝のさなかに大蔵省田谷廣明主計官(当時)が述べた言葉だそうで、
「昭和の三大バカ査定、と言われるものがある。それは戦艦大和、伊勢湾干拓、青函トンネルだ。もし(民営化したばかりのJRで)整備新幹線計画を認めれば、これらの一つに数えられるだろう。」
と発言されたそうです。
一方で、世界三大無用の長物という言葉もあり、、「万里の長城、ピラミッド、戦艦大和、新幹線、青函トンネル」 の 5つの中から 3つを組み合わせたもののようです。戦艦大和以外は観光資源として役に立っていたり、現在では欠く事のできない社会資本だったりしますが、どうにも戦艦大和だけは能力を発揮できず、ほとんど役に立たずに沈没してしまいました。運命をともにされた2740柱の英霊には申し訳ありませんが、馬鹿査定といわれようと無用の長物と言われようと反論は難しいような気はします。
戦艦大和は昭和15年8月8日に広島県にある呉海軍工廠において進水しました。当時の日本国内最高水準の技術と1億3780万円(当時の国家予算の3%)をつぎ込んだ大和は、基準排水量65,000トンを誇り、現在に至るまで人類史上における最大の戦艦という輝かしい記録を持っています。
大東亜戦争のころには既に航空戦力と制空権の重要性は認識されており、事実真珠湾攻撃は航空機動部隊により赫々たる戦果を挙げました。しかし、それまでの常識では制海権を重視し、そのための艦隊決戦の切り札としては大艦巨砲主義が信奉されていました。
大艦巨砲主義というのはこういう理屈です。
「敵の戦艦よりも射程距離が長い巨砲を装備し、同等の巨砲で攻撃されても防御するのに十分な装甲を有する戦艦を建造すれば、原理的には海戦で勝利することができる。」というのがその理屈です。戦艦大和は当時世界最大を誇る46センチ砲を装備(3連装の砲塔を3基装備)し、同時に、46センチ砲で攻撃されても防御できる装甲を有していました。
敵戦艦の主砲が46センチよりも小さければ、大和は敵戦艦の射程外から攻撃することが可能であり、万が一敵戦艦の攻撃にあっても装甲で防御できるので、無敵であるということになります。しかしながら、この考え方は実際には間違っていました。
46センチ砲の最大射程は42.026Kmで、最大仰角である45度で発射した場合弾丸の最高高度は11,900m(現代のジェット旅客機の巡航高度くらいですね)まで到達します。長さ2mで1.5トンもの重量のあった砲弾の初速は時速2,808Km/hで音速をはるかに超えます。
しかし、最大射程の42Kmというのは、東京駅から江ノ島を狙うようなもので、着弾地点の誤差は目標を中心にして最大1Km程度に及んだということです。また、大和型の第一艦橋は高さ34mあり、42Km先まで目視できたということですが、実際には敵艦に煙幕や弾幕を張られれば目視確認はできず、電探(レーダー)の装備はありましたが、当時の日本の技術水準では砲撃の照準を行うほどの技術的成熟はなかったので、あまり使い物にはならなかったようです。また、弾着を確認するための艦載機(零式艦上観測機)も搭載していましたが、制空権の無い状態では艦上観測機の発着もままならなかったでしょう。46cm砲の実質的な射程距離は20Km~30Kmとも言われていますが、誘導機能のない巨砲の長距離射撃は特に実戦状況では技術的に困難を極めたものと推測されます。
また、主砲を発射する際には爆風や衝撃波による被害(甲板から吹き飛ばされたり鼓膜を損傷したり)を防ぐため、甲板上の乗組員は艦内に退避する必要があり、その際に主砲以外の他の砲に装着されていた衝撃に弱い照準機は取り外す必要があったということです。と、いうことは、主砲を発射する際にはその前後を含め対空砲が使えないということで、敵航空機に対する防御が極端に手薄になります。一方で、46センチ砲の信頼性に関しても問題が多く、何発か発射するうちに故障が発生する事がしばしばあったといった情報もあります。
太平洋戦争の最初期段階である真珠湾攻撃で航空優位が実証されてしまったこともあり、戦艦大和の出番はほとんどありませんでした。温存という意味もあったのでしょうが、戦争中はほとんど呉の海軍基地で待機していたようです。大和は艦内の居住性に優れ(居住空間は他艦より広く、士官室は冷房完備であったり、洋式便器が装備されていたり、アイスクリームやラムネの製造機械が設置されていたり)、食料などの物資も優先的に配給されたため、時には「大和ホテル」とも揶揄されていたようです。最後は天一号作戦(菊水作戦)に動員され沖縄に向かう途中、昭和20年4月7日に鹿児島県坊ノ岬沖にて撃沈されました。
大和型としてはは兄弟艦の武蔵が三菱重工長崎造船所で建造され、最後はフィリピンのレイテ島沖で撃沈されました。また大和型三番艦である信濃は横須賀海軍工廠で建造されましたが途中で空母に改造され、呉に回航中に潮岬沖で米潜水艦に撃沈されました。
戦争中は大和、武蔵の存在は軍事機密として秘匿され、一般には知られていなかったようです。かわりに元々連合艦隊の旗艦であった長門のほうが知名度が高かったようです。ちなみに長門は終戦まで生き残り(満身創痍だったようですが一応航行はできたようです)、その後米軍に接収され、最後はビキニ環礁における原爆実験材料にされ、昭和21年7月28日ごろ沈没しました。
第二次世界大戦で航空戦力の優位が実証されたこともあり、終戦後は戦艦が建造されることはありませんでした。現代における艦隊は航空母艦を中心に、他には航空母艦を守るための巡洋艦、駆逐艦、潜水艦、強襲揚陸隊、補給艦、哨戒機などから編成されています。
イージス艦の装備はミサイルがほとんどですが、そのほかにも魚雷の発射装置があり、あとは20mm自動機銃(ファランクス)の他、船首に1門だけ大砲(12cm速射砲)が装備されています。他の見学者が速射砲の砲塔下に立っていた説明要員の海上自衛官に質問していました。質問自体はよく聞いていなかったのですが、たぶんこんなことを聞いていたんだと思います。
ということで、今日は本物の戦艦大和の話をしましょう。
昭和三大馬鹿査定という言葉があります。これは、1987年12月、政府予算復活折衝のさなかに大蔵省田谷廣明主計官(当時)が述べた言葉だそうで、
「昭和の三大バカ査定、と言われるものがある。それは戦艦大和、伊勢湾干拓、青函トンネルだ。もし(民営化したばかりのJRで)整備新幹線計画を認めれば、これらの一つに数えられるだろう。」
と発言されたそうです。
一方で、世界三大無用の長物という言葉もあり、、「万里の長城、ピラミッド、戦艦大和、新幹線、青函トンネル」 の 5つの中から 3つを組み合わせたもののようです。戦艦大和以外は観光資源として役に立っていたり、現在では欠く事のできない社会資本だったりしますが、どうにも戦艦大和だけは能力を発揮できず、ほとんど役に立たずに沈没してしまいました。運命をともにされた2740柱の英霊には申し訳ありませんが、馬鹿査定といわれようと無用の長物と言われようと反論は難しいような気はします。
<波濤を蹴って進む公試中戦艦大和の威容(昭和16年10月30日)>
戦艦大和は昭和15年8月8日に広島県にある呉海軍工廠において進水しました。当時の日本国内最高水準の技術と1億3780万円(当時の国家予算の3%)をつぎ込んだ大和は、基準排水量65,000トンを誇り、現在に至るまで人類史上における最大の戦艦という輝かしい記録を持っています。
大東亜戦争のころには既に航空戦力と制空権の重要性は認識されており、事実真珠湾攻撃は航空機動部隊により赫々たる戦果を挙げました。しかし、それまでの常識では制海権を重視し、そのための艦隊決戦の切り札としては大艦巨砲主義が信奉されていました。
大艦巨砲主義というのはこういう理屈です。
「敵の戦艦よりも射程距離が長い巨砲を装備し、同等の巨砲で攻撃されても防御するのに十分な装甲を有する戦艦を建造すれば、原理的には海戦で勝利することができる。」というのがその理屈です。戦艦大和は当時世界最大を誇る46センチ砲を装備(3連装の砲塔を3基装備)し、同時に、46センチ砲で攻撃されても防御できる装甲を有していました。
<艤装中の戦艦大和>
敵戦艦の主砲が46センチよりも小さければ、大和は敵戦艦の射程外から攻撃することが可能であり、万が一敵戦艦の攻撃にあっても装甲で防御できるので、無敵であるということになります。しかしながら、この考え方は実際には間違っていました。
46センチ砲の最大射程は42.026Kmで、最大仰角である45度で発射した場合弾丸の最高高度は11,900m(現代のジェット旅客機の巡航高度くらいですね)まで到達します。長さ2mで1.5トンもの重量のあった砲弾の初速は時速2,808Km/hで音速をはるかに超えます。
しかし、最大射程の42Kmというのは、東京駅から江ノ島を狙うようなもので、着弾地点の誤差は目標を中心にして最大1Km程度に及んだということです。また、大和型の第一艦橋は高さ34mあり、42Km先まで目視できたということですが、実際には敵艦に煙幕や弾幕を張られれば目視確認はできず、電探(レーダー)の装備はありましたが、当時の日本の技術水準では砲撃の照準を行うほどの技術的成熟はなかったので、あまり使い物にはならなかったようです。また、弾着を確認するための艦載機(零式艦上観測機)も搭載していましたが、制空権の無い状態では艦上観測機の発着もままならなかったでしょう。46cm砲の実質的な射程距離は20Km~30Kmとも言われていますが、誘導機能のない巨砲の長距離射撃は特に実戦状況では技術的に困難を極めたものと推測されます。
また、主砲を発射する際には爆風や衝撃波による被害(甲板から吹き飛ばされたり鼓膜を損傷したり)を防ぐため、甲板上の乗組員は艦内に退避する必要があり、その際に主砲以外の他の砲に装着されていた衝撃に弱い照準機は取り外す必要があったということです。と、いうことは、主砲を発射する際にはその前後を含め対空砲が使えないということで、敵航空機に対する防御が極端に手薄になります。一方で、46センチ砲の信頼性に関しても問題が多く、何発か発射するうちに故障が発生する事がしばしばあったといった情報もあります。
<46センチ砲の勇姿>
太平洋戦争の最初期段階である真珠湾攻撃で航空優位が実証されてしまったこともあり、戦艦大和の出番はほとんどありませんでした。温存という意味もあったのでしょうが、戦争中はほとんど呉の海軍基地で待機していたようです。大和は艦内の居住性に優れ(居住空間は他艦より広く、士官室は冷房完備であったり、洋式便器が装備されていたり、アイスクリームやラムネの製造機械が設置されていたり)、食料などの物資も優先的に配給されたため、時には「大和ホテル」とも揶揄されていたようです。最後は天一号作戦(菊水作戦)に動員され沖縄に向かう途中、昭和20年4月7日に鹿児島県坊ノ岬沖にて撃沈されました。
<戦艦大和最後の大爆発>
大和型としてはは兄弟艦の武蔵が三菱重工長崎造船所で建造され、最後はフィリピンのレイテ島沖で撃沈されました。また大和型三番艦である信濃は横須賀海軍工廠で建造されましたが途中で空母に改造され、呉に回航中に潮岬沖で米潜水艦に撃沈されました。
第二次世界大戦で航空戦力の優位が実証されたこともあり、終戦後は戦艦が建造されることはありませんでした。現代における艦隊は航空母艦を中心に、他には航空母艦を守るための巡洋艦、駆逐艦、潜水艦、強襲揚陸隊、補給艦、哨戒機などから編成されています。
中でも航空母艦を守る盾の役目をしているのがイージス艦です。イージス艦とは高度なレーダーと対艦対空ミサイルとそれらを制御する戦闘指揮システム(いわゆるイージスシステム)を装備した艦船(排水量によって、巡洋艦であったり駆逐艦であったり、フリゲート艦であったりします)で、同時に10個以上の敵に対してミサイル誘導攻撃が可能です。イージスとはギリシャ神話で最高神ゼウスが娘アテナに与えたという盾(胸当)が語源になっているようです。
<横浜港大桟橋に接岸中の海上自衛隊イージス艦「きりしま」>
先日JJの自宅近くの横浜港大桟橋にイージス艦「きりしま」が来航して南極観測船「しらせ」とともに一般公開されましたので、見に行きました。その時の話はいずれ詳しく書こうと思いますが、一つだけ印象に残ったことがあります。
「実際にこの大砲で敵艦と交戦するようなことがあるんですか?」
自衛官はこのように答えていました。
「現代の海戦は水平線の向こうからミサイルが飛んでくるようなところから始まりますので、速射砲の活躍する機会はほとんどありません。まあ、出会い頭に敵艦と交戦状態に入るような場合くらいしか考えられません。」
とのことでした。イージスシステムというのはなかなかにすごいものなので、その内ご紹介しましょう。
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