2016年3月13日日曜日

空襲で焼失した増上寺の台徳院霊廟だが精巧な模型があったんだ

2010年8月10日に「江戸の面影・芝増上寺」というブログ記事を書きました。リンクはここです。この記事を書いたのはもう5年半も前の事ですが、記事の中で、戦前にあった徳川家の霊廟の事も触れました。戦前はこの地に6名の徳川将軍の壮大な霊廟があり、旧国宝に指定されていました。現在残されていたら間違いなく世界遺産に指定されていたはずですが、残念なことに大戦中に昭和20年5月の空襲で焼失してしまいました。ただ、ごく一部、たとえば台徳院(二代将軍秀忠)霊廟の惣門は残されており、日比谷通りに面した場所に現在も威容を誇っています。
台徳院霊廟の惣門

 霊廟は非常に立派なもので、日光の東照宮を上回るものだったといわれていますが、現在その姿を残すものは戦前に撮影されたモノクロ写真のみとなっていた...はずでした。
有章院(徳川家継)霊廟
元の記事を書いていた当時は、勤務先が増上寺の近くだったので、昼休みなどには良く境内を散歩したものでした。そういうわけで何か催しがあれば、すぐに気が付いたのですが、その後勤務先が変わったこともあり、増上寺とは疎遠のまま数年が過ぎてしまいました。で、なにげなくGoogleで増上寺に関して検索していたところ、驚くような記事を発見しました。


 国宝「台徳院殿霊廟」空襲で消失→「まさか…」英国で国宝級の精巧模型発見→増上寺で日本初公開という産経ニュースの記事(2015年4月10日付け)です。

 詳細はリンク先を読んでほしいのですが、記事自体が削除されてしまう可能性もあるので、概要をここに記載します。

1920年(明治43年)に日英博覧会が英国ロンドンで開催され、それに出展するために東京市が東京美術学校(現在の東京藝術大学)に依頼して台徳院霊廟の模型を製作させたものだそうです。博覧会終了後。模型は英国王室に献上されたのですが、その後第二次世界大戦の戦火を逃れるためにロンドンの北西約200Kmの片田舎の倉庫に収納され、忘れ去られていたそうです。それをオーストラリア人の建築史学者ウィリアム・コールドレイク教授が1996年に発見したとあります。
この模型は10分の1スケールで作られている為、かなり大型で幅4メートル奥行5メートル高さ2メートルということです。制作には東京美術学校教授であった高村光雲もかかわっていたとのことで、かなり精巧に作られているようです。上の方に写真を載せた惣門もしっかりと再現されているのが分かります。(模型の方はスケルトンになっている感じはしますが)

発見された模型
 コールドレイク教授はキリスト教宣教師の両親の元1952年に日本で生まれ現在は東京大学の特任教授をされているそうです。

この模型は日本に長期貸与されることが決まり、昨年(2015年4月2日)に開館した増上寺宝物展示室に展示されているそうです。これはさっそく見に行かなくては。 見てきたらまたブログを書きます。

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