2009年10月17日土曜日

指の多い猫 -ヘミングウエイと無の祈り-

猫ネタが続きますが、ごめんなさい。

ネコの指の数は、通常は前足に5本後足に4本ですが、指の多い猫も良く見られるそうです。ちなみにJJの飼っている猫は標準的な前5後4の指数です。



指の多い事を多指症と呼びますが、多指症の猫で有名なのは「ヘミングウエイの猫」です。

アーネスト・ヘミングウエイはノーベル文学賞受賞者で、「陽はまた昇る」、「誰がために鐘は鳴る」や「老人と海」などの名作で有名です。ヘミングウエイは大の猫好きだったようです。ある時、知り合いの船長から2匹の猫を譲り受け、これらの猫が多指症で、指が6本あったそうです。この多指症の猫を彼は幸福を呼ぶ猫だと信じてかわいがったそうです。

昔は航海中に鼠害から食料や積荷を守るために、猫を載せることが良くあったようです。日本へのイエネコの伝来は、遣唐使が積荷の書物等を守るために連れてきたと言われていました。ただし、壱岐市にある紀元前1世紀の弥生時代の遺跡(カラカミ遺跡)からイエネコの骨が発掘されていますので、遣唐使が連れてきたのが日本における最初の猫ではなかったのかもしれません。

で、船舶に乗せている内に近親交配が進み、多指症のネコが固定化されたのでしょうか。ヘミングウエイの猫は彼の自殺後も旧宅に住みつき、現在でもキー・ウエストにあるヘミングウエイの旧居(現在は博物館になっている)に直系の子孫50匹が暮らしており、子孫たちはすべて多指症だということです。

ヘミングウエイの猫については、ここに詳しいことが掲載されていますのでご参照ください。指の多い猫の写真も掲載されています。

ところで、もうずいぶんと昔の話ですが、大学時代に教養課程で英語の授業がありました。「語学」ということで、実用的な授業を期待したのですが、実際には「英文学」のような授業で、多少がっかりしたものでした。今考えると、その後も実用英語を学ぶ機会はたくさんありましたので、教養課程としては、それはそれでよかったのだと思っています。それで、S教授という米国文学の大家(おおやさんではありません)の先生の授業で、ヘミングウエイの短編集を読みました。

BIG TWO-HEARTED RIVERという作品は、作者の分身のようなNickという人物が、渓流で釣りをする話で、いまいち退屈でした。この小説はPart IとPart IIがあるのですが、それぞれの本編の直前にイタリック体で印刷された血なまぐさい情景(闘牛士の死とか、刑務所での絞首刑の状況)が挿入されていて、その後に平和で退屈な本編が続く構成が対比的で面白いと思いましたね。まあ、対比に関しては色んな解釈があるとは思いますが、ここでは省きます。

その一方、短編集で特に印象に残ったのが、A CLEAN, WELL-LIGHTED PLACEでしたね。これは、たった5ページくらいの小品です。リンク先に全文掲載されているので、よかったら、読んでみてください。

場所は長らくキューバだと思っていましたが、今考えるとたぶんスペインですね。で、深夜のカフェでブランデーを飲む耳の悪い老人とそれを眺めて時々給仕をする、二人のウエイターの会話が、その主な内容です。老人は経済的には恵まれており、若い姪と暮らしているのですが、前週に自殺を企てていて、若い方のウエイターは老人に対し批判的、年配の方は同情的です。自殺の理由を二人が話すのですが、「nothing」だろうということになります。理由が無いというよりは、「無」あるいは「虚無」が原因ということです。

この小説も色々な解釈があると思いますが、全編に漂う虚無感、闇と光の対比、若と老との対比、そして虚無や老いへの恐れ、といった要素が見て取れます。とくに極めつけは、「無の祈り」という部分です。老人も若いウエイターも去り、年配のウエイターがカフェを閉めて出て行った後、彼の頭の中で反芻されます。

これはキリスト教で使われる「主の祈り」(天にまします、我らの父よ..)のもじりで、こんな感じです。「nada」はスペイン語で無のことです。

"It was all nothing, and a man was nothing, too...Some lived in it and never felt it but he knew it was nada y pues nada y pues nada. Our nada who art in nada nada be thy name thy kingdom nada they will be nada in nada as it is in nada. Give us this nada our daily nada and nada us our nada as we nada our nadas and nada us not into nada but deliver us from nada; pues nada. Hail nothing full of nothing, nothing is with thee..."

この小説が発表されたのが1926年で、彼はまだ26,7才くらいだったと思いますが、若くしてこういった感性を持っていたことは驚嘆に値します。もともと気鬱症だったのでしょうか、あるいは、戦線への参加が彼を虚無的にしたのか。まあ、彼が持っていた、こういった感覚が、初老期での自殺につながっていったのかな、という風にも思っていたりします。

(ちなみにJJが授業を受けたS教授はまだ健在で、現在は日本藝術院会員だそうです。評論家・翻訳家の方が芸術院会員というのは何となく違和感を感じるのですが、あまり深く考えないことにしましょう。)

2 件のコメント:

  1. こんばんは。

    猫とは余り関係ありませんが、『フロリダ最南端、キーウェスト』というキャッチコピーを思い出しました。

    私は現代っ子にしては海外渡航が27になってからという珍しい人間なのですが、転職前のペイド・バケーションで初めて訪れたのがキーウェストでした。

    きっかけはその転職直前に自腹で英会話を習った時にテキストに『アメリカにいくなら、ニューオリンズとキーウェストがいいよ』という例文からでした。アーネスト・ヘミングウェイが愛して暮らした島、というCMも心に残っていたこともきっかけだったように思います。

    ヘミングウェイにあこがれて日本人のお婆さんの家にショートステイしましたが、ボートツアーかなにかで、洋上に浮かぶ書斎(!)で作家活動をしている方の書斎を遠目にみて衝撃を受けたのを覚えています。桟橋の先に、書斎一間だけがあって海側がガラス張りの書斎で実際に執筆していました!

    ヘミングウェイの家(博物館)は勿論行きましたが
    、猫はうじゃうじゃ居ましたね。当時銀塩写真に凝っていたので猫達の写真もあります。まさか指の多い猫達だとは知りませんでしたけれど。

    学生時代、道東の北海道を自転車でソロツーリングした際、読みふけったのが『老人と海』でした。

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  2. Harrisonさん、こんばんは。

    そうですかキーウエスト行かれましたか。JJも行ってみたいですね。フロリダには3回ほど行きましたが、マイアミどまりで、その先までは行っていません。

    桟橋の先のガラス張りの書斎ってステキですね。海に囲まれて、通常とは違う発想も生まれるでしょうね。(ちょっと暑いかもしれませんが)

    キーウエストもいいですが、JJはキューバにも行ってみたいですね。

    ヘミングウエイの猫の写真もう一回見てみて、指のところが写っている猫の写真があれば是非スキャンして送ってください。

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