2009年10月24日土曜日

美術作品に見る猫-その2

日本の歴史史上、いくつかの大きな転換期がありました。最初は古事記に記された、ヤマトタケルの東征、続いて律令体制の成立、鎌倉幕府成立直前の武家の時代到来、徳川幕府成立、そして、明治維新です。(その後大東亜戦争の敗戦もありましたが...)

明治維新後、廃藩置県、秩禄処分など大きな改革が相次ぎ、士族反乱も経験しましたが、一方で、江戸の町も大きな変化を迎えました。参勤交代で江戸に来ていた地方の武士達は領地に戻り、旗本・御家人は離散(拝領屋敷は幕府から借りていたので出て行かざるを得なかったでしょう)し、面積の50%(69%という説もあります)を占める武家地が荒廃した江戸の町は火の消えたようになったといいます。大名や武家は零落し、また廃仏毀釈によって従来力を持っていた寺院も没落していきました。一方で、文明開化ということで文化的な面でも日本古来のものは否定され、西洋の文化がもてはやされました。浮世絵師や日本画家たちもパトロンを経済的にも文化的にも失って、さぞかし苦難の道を歩んだのではないかと思います。

ちょうど同じころ、日本から欧州に輸出された陶器や漆器などの包装紙に浮世絵版画が使われ、それを見た仏蘭西の画商や画家たちが東洋からもたらされた斬新な表現に目を丸くして、ジャポニズムのムーブメントが巻き起こるのはまったく皮肉なことですね。

明治期の日本画は大変な状況で始まったのですが、明治維新の混乱も収まると、アーネスト・フェノロサ(大森貝塚を発見したモースの紹介で来日したお雇い外国人)や岡倉天心らによって、旧来の日本美術に対する再評価が行われ、(本流ではないが)狩野派の末裔でもある狩野芳崖(明治維新以後相当困窮していたようです)が見出されました。

フェノロサが中心になって設立されたのが東京美術学校(現在の東京藝術大学)で、フェノロサの助手だった岡倉天心は美術学校の二代目の校長に就任します。岡倉天心のもとで学んだのが、美術学校の生徒であった、横山大観下村観山そして菱田春草の三人でした。彼らは岡倉天心の影響を受け、西洋画の手法に影響を受けた新しい日本画を生み出していくのです。彼らはその後日本画改革を唱えたため、美術学校を追われ、日本美術院を設立するのですが、菱田は明治44年に37歳で夭折してしまいます。

ちょっと前置きが長くなりましたが、日本の猫絵画史上最高傑作のうちの1枚は、菱田春草が亡くなる前年に描いた、「黒き猫」です。

左の写真にありますように、黒い猫が、柏の木に乗って、こちらを見ている構図です。まず、構図とバランスがすごくいいですね。木の幹、木の枝、木の葉の形とバランス。それら中間色の背景の中で、画面全体を引き締め緊張感をもたらす、黒い猫。猫の質感もふわりとしていて、よおく表現されています。ううむ、絵自体がすばらしいですね。とても1週間でやっつけた作品には見えませんね。

従来の日本画はものの形に必ず輪郭線というものがありました。これはちょうど現代の漫画のようなものですね。それに対して、日本画の改革を唱えた岡倉天心派は、輪郭線を用いない朦朧体と呼ばれる技法を使いました。黒いネコはあくまで黒いかたまりで、輪郭線は特にありませんね。

もう一つ重要なことは、日本画史上で、おそらく猫がはじめて中心的な画題として扱われた絵であるという点で、JJはこの絵を非常に重要なものと位置づけています。

ちなみにこの絵は、永青文庫が所蔵するもので、重要文化財の指定を受けています。永青文庫は旧熊本藩主の細川家の所蔵品を保管研究する機関で、8点の国宝を始め、重要文化財も多数所蔵しています。現在は、元首相の細川護熙氏が理事長を勤められています。

そして、もう一枚の最高傑作を書いたのは竹内栖鳳です。この人は、京都画壇で活躍した人で、前出の日本美術院系とは多少派閥が異なります。基本は保守的なのですが、彼自身は36歳のときに欧州を7ヶ月かけて旅行して、彼の地のスケッチを残したり、西洋絵画の表現・技法を研究し、それを自分の作品にも取り入れました。



彼が大正13年に描いたのが、この「班猫」です。竹内栖鳳は60歳になっていました。

この絵は猫の一瞬の動きを非常に正確に表現しています。まず、このしぐさは、直前まで自分の背中の毛づくろいをしていたんですね。それが、何かの物音に気づいて、背中をなめるのをやめて、こちらに視線を向けています。耳が後ろを向いているのは、猫が警戒しているときに見せるしぐさです。

また猫の質感の表現がすばらしいですし、翡翠色で澄んだ猫の眼差しに力がありますね。まるで猫の視線でこちらが射抜かれているようです。また全体の構図とバランスもすばらしく、非常に良く計算され、考え抜かれています。猫の対軸は画面中央でS字型を描き、それと交差するように、すらりと白く伸びた右前足と左上の落款が対角線を成していますね。

前出の「黒き猫」では猫は画面全体を構成する一つの要素に過ぎなかったのが、この絵では、あいまいな背景の中に猫だけしかないですね。まさに猫だけのための藝術作品ですね。作者は真剣に猫と対峙し、猫を描ききりたかったのでしょう。JJはこの作品を人類史上での猫絵画の最高傑作と考えています。

この作品を所蔵している山種美術館のWEBページにはこのような解説が載せてあります。

「モデルとなった猫は栖鳳が沼津に滞在していた時、偶然見つけた近所の八百屋のおかみさんの愛猫であった。その姿に中国南宋時代の徽宗皇帝の描いた猫を想起し、絵心がかき立てられたため、交渉して譲り受けて京都に連れ帰り、日夜、画室に自由に遊ばせながら丹念に観察して作品に仕上げたのであった。
タイトルの《班猫》は、栖鳳自身の箱書きに従っている。猫の体のまだら模様を意味する漢字は、今日普通には「班」ではなく「斑」を使うべきである。しかし「班」にも「まだら」の意味はあるため、箱書きに従い、当館では《班猫》としている。」

なんとも猫に対する愛情のあふれるエピソードですね。八百屋のおかみさんにはいい迷惑だったでしょうが、おかげでこのような傑作が生まれたので良しとしましょう。竹内栖鳳は昭和12年に第一回の文化勲章を受章し、上村松園をはじめとする多くの弟子を育てました。ちなみに、この作品も重要文化財に指定されています。

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